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リュティ

りゅてぃ

フィンランドの第5代大統領にして元首相(メイン画像左)。母国・フィンランドでは2番目に人気なフィンランド人。
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プロフィール編集

1889年、帝政ロシアの傀儡政権・フィンランド大公国にて産まれた。

フルネームは、「リスト・ヘイッキ・リュティ」。


概要編集

フィンランド大公国時代編集

1909年にヘルシンキ大学を卒業した後に、フィンランドの実業家・アルフレッド・コルデリンの弁護士となり彼と親しくなった。しかしロシア革命の最中、ロシア共産主義者によりコルデリンが殺害されてしまった。


フィンランド独立編集

その後、フィンランドは独立に成功。ソ連と通じたフィンランド赤衛軍フィンランド内戦を起こすも、フィンランド白衛軍により鎮圧された。


戦間期編集

その後、リュティは自由主義民主主義を唱え、フィンランド国民からの高い人気を得た。それにより財務大臣に就任。しかし後に、1939年までフィンランド銀行の総裁になった。


その頃、ヨーロッパでは二つの思想が台頭していた。一つはフィンランド内戦の元凶となった極左の共産主義であり、もう一つは極右のナチズムである。二つの思想は相反していたものの、全体主義であるという点については同じであった。リュティは、全体主義である両方の思想に反対であり、アメリカイギリス自由経済を好んでいた。


冬戦争編集

1939年に第二次世界大戦が勃発すると、前述したソ連がフィンランドへと侵攻(冬戦争)。リュティは首相に就任。かつてフィンランド白衛軍を率いたマンネルヘイムが率いるフィンランド国防軍は約四倍ものソ連軍に対して大打撃を与えることに成功した。こうして、リュティはパーシキヴィらと共に1940年にモスクワ講和条約に調印することで講和が成立した。しかし、この条約でフィンランドは第二の大都市・ヴィープリカレリア地峡などをソ連に割譲することになってしまった。


しかしフィンランドは失地奪還を諦めておらず、安全保障を確保するためにもスウェーデンとの軍事同盟締結を望んだ。しかし、ドイツとソ連の反対によりこの同盟は実現しなかった。それでもフィンランドは諦めずに、ドイツと密約を結び、ドイツ国防軍がフィンランドに駐屯することを許可することで、ソ連に対抗した。その後、リュティはフィンランドの第5代大統領となった。


継続戦争編集

そうして1941年、ドイツなどの枢軸国がソ連へと侵攻(独ソ戦)。フィンランドは当初中立を表明したが、フィンランド領内から出撃したドイツ空軍への報復としてソ連空軍がフィンランドに爆撃を行ったため、失地奪回の意味も込めてフィンランドはソ連へと宣戦布告した(継続戦争)。フィンランドは、この継続戦争を枢軸国とは無関係と強調したものの、連合国はフィンランドを枢軸国認定し、ソ連による度重なる要請を受けたイギリスはフィンランドへと(形式上)宣戦布告。アメリカもフィンランドとの国交を断絶した。

継続戦争の序盤、マンネルヘイム率いるフィンランド軍は冬戦争にて失った領土の奪回に成功した。その後、ドイツから多数の協力要請が来たが、ソ連以外の連合国からも敵意を向けられないために、リュティは高い保留条件をつけることで要請を実質拒否した。

1943年、ドイツ軍はスターリングラードの戦いにて敗北。これ以降ドイツの敗戦が決定付けられたため、リュティはソ連との講和交渉を開始。しかしこれはドイツに知られてしまい、報復措置として禁輸をかけられる。こうして、リュティは戦争から離脱するための策を考え、このような計画を思いついた。まず、「リュティ個人名義」(フィンランド政府名義ではない)として対ソ戦の継続をドイツに約束し禁輸を解いてもらう。その後、戦局が安定した際に大統領職をマンネルヘイムに譲り、マンネルヘイム政権のもと、「フィンランド政府名義」でソ連との講和を実行するというものであった。こうして、この計画は実行され、リュティが辞職した後にマンネルヘイムがソ連との講和を成功させた(モスクワ休戦協定)。これにより、(領土は喪失したものの)フィンランドは東欧の枢軸国とは対照的に、ソ連による傀儡化を免れつつ講和をすることに成功した。


その後編集

その後、フィンランドは休戦協定に従いドイツ軍を国内から追放(ラップランド戦争)。その後、枢軸国は降伏して第二次世界大戦は終戦した。


戦後、リュティはナチスに協力したとして戦争犯罪者として訴追され、1946年に禁錮10年の判決を受けた。しかし健康を害して1949年釈放された。その後は隠居生活を送り、1956年に死去した。

彼の死後、ソ連が猛反対したにもかかわらず国葬が行われた。


評価編集

彼の母国・フィンランドでは汚名を被ってまでフィンランドを守った功労者として尊敬され、2004年にフィンランドで放送された最も偉大なフィンランド人という番組において、投票数二位を獲得している(ちなみに一位はマンネルヘイム)。


関連タグ編集

フィンランド

冬戦争 継続戦争

マンネルヘイム

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