「OSカー」の由来
中小私鉄のひとつ、長野電鉄は、長野市郊外の宅地化により旅客が増えたことで、単線が存在する限られた中で輸送力を増強する必要が生じた。その解決策として1列車あたりの輸送力を増やすこととし、そのために20m級車体の通勤形電車を自社発注で製造することにした。
このことから本格的な通勤形電車による通勤通学輸送を意識し、「Officemen」と「Students」の頭文字をとって「OSカー」と名付けられた。
車両の概要
長野電鉄0系
1966年に2両編成2本を製造。クハ50形とモハ0形で編成を組み、OS1編成とOS2編成が在籍した。
先述の通り、地方私鉄初の本格的な20m・4ドア車体をもつ通勤形電車。
製造を請け負った日本車輌の提案で、日本で初めてFRPを車両正面の全体に採用した。また信州中野駅にて分割併合運転が計画されていたことから、長電初の密着連結器を採用したほか、当時は国鉄481系くらいしか採用例がなかった側面の電動式行先表示器を採用している。前面は着雪防止ならびに踏切事故による灯具類の破損防止のため、前照灯と尾灯が上部に横並びで設置され、誤乗防止のため列車種別と行先表示を2段にしたうえでひとまとめにしたものを中央に配置した特徴的なデザインとなっている。主電動機は近鉄16000系での実績をもとに135kWのものを採用し、これにWN駆動を組み合わせて採用した。側面窓配置は混雑時に車内が蒸すことを避けるため、相鉄6000系に類似したものが採用された。側窓は1段下降窓の採用が検討されたものの、コスト面から通常の2段窓となった。
1967年に鉄道友の会よりローレル賞受賞。前面貫通構造を採用し、朝ラッシュ時には4両編成を組成して運転された。
発電制動を装備しなかったことで運転上の取扱に難があったことなどから、3500系(もと営団地下鉄3000系)に置き換えられ1997年引退。
2002年までに解体され車両は現存しないが、この0系の運用実績はのちに8500系(東急電鉄8500系)の譲受に繋がっていく。
長野電鉄10系
長野線地下化による在来車の置き換え用として1980年に2両編成1本のみ製造(メイン画像の車両)。クハ60形とモハ10形で編成を組み、OS11編成が在籍した。
当初は2編成を製造する予定だったが、2500系(もと東急5000系)を多く譲受するよう計画が見直されたため、1編成のみ製造された。
0系とは異なり前面は貫通型から非貫通型、4ドアから3ドアへ変更された。全体を普通鋼としたため、車両正面にFRPは使用されなかった。ただし着雪防止のために折妻の前面構造は継承している。また前面下部にタイフォンやアンチクライマーを設置したスタイルは、1年前に登場した富山地方鉄道14760形にも採用されたものであり、当時の日本車輌製の地方私鉄向け電車に共通の意匠である。主電動機は大出力のものに対応したWN駆動の技術が成熟したため、150kWへと増強された。側面窓配置はクロスシートの設置を意識したものとなっていたり、側面ドアの高さがスキー板を持ったまま余裕で乗れる1850ミリになっていたりと、観光輸送も意識した仕様になっている。
冷房化されず、またワンマン化改造の対象からもはずれたこともあり、木島線廃線による車両の余剰が生じたことで2003年引退。
引退後は須坂駅構内で保管されていたが、2017年に車両は解体。実働期間は23年と短命に終わっている。
関連タグ
日本車輌:上記2系列の製造元。
WN駆動:2000系での実績をもとに、両形式の駆動装置として採用されていた(長電の現役車両では3500系と、その置き換えで導入された3000系が採用)。