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概要

1958年京都駅宇野駅間の無名客車準急列車が設定され、翌1959年に当列車は「わしう」と命名された。さらに翌年1960年に名称が漢字書きの「鷲羽」となり、同時に山陽本線倉敷電化と宇野線全線電化が完成したため153系電車に置き換えられ大阪駅発着便が増発された。

1965年には宇野線列車の増発に伴い下り7本・上り8本となり、夜行1往復が設定された。

1966年には種別が準急から急行へと格上げされた。

1968年ヨンサントオダイヤ改正に伴い定期9往復、臨時2往復の11往復となり、赤穂線が全線電化開業した翌1969年10月ダイヤ改正で1往復が赤穂線経由となった。

山陽新幹線岡山駅まで部分開業した1972年3月ダイヤ改正で、「鷲羽」は京都駅岡山駅間が新幹線と重複するため夜行1往復と臨時列車を残し、赤穂線経由の便も含む昼行は定期・臨時列車共に廃止され運行区間も新大阪駅始発に短縮された。この際に臨時列車1往復に475系が充当された。

しかし、1980年10月ダイヤ改正で夜行も廃止され21年の歴史にピリオドを打った。

エピソード

1972年3月に昼行廃止の際、余剰となった153系は当時113系により運行されていた新快速へ転用された。当時新快速に使用されていた113系は非冷房車が多くを占め、ライバルである阪急電鉄2800系京阪電気鉄道3000系阪神電気鉄道3011形といった優等車両は冷房化率が高く、サービス強化の一環として冷房付の153系が転用された。また、新生新快速アピールのため従来の湘南色から灰色水色の新快速色(ブルーライナー)へと変更された。

この塗装は同時期に新快速が設定された阪和線の113系にも採用されたため「阪和線色」とも呼ばれる。

なお、この塗色変更は昼行「鷲羽」末期の1971年頃から行われ、短期間だが「鷲羽」を初め「安芸」「とも」などの電車急行には新快速色の車両が混結され山陽本線岡山駅以西や呉線でも「新快速色」を見ることができた。

また「鷲羽」運用を離脱した153系は宇野線内の快速運用に就き、「鷲羽」廃止まではグリーン車も連結していた。

末期は夜行1本のみが残存したが、肝心のダイヤはというと山陽新幹線が全線開業した1975年3月ダイヤ時点における「鷲羽1号」〜宇高航路3便(上りは2便)の時刻は

鷲羽1号

新大阪駅23:21発5:26着
大阪駅23:29発5:17着
  
宇野駅2:35着1:40発

宇高航路3便(上りは2便)

宇野駅2:55発1:25着
  
高松駅3:55着0:25発

となっている。なお、下り1号に接続する高松駅宇和島駅間を結ぶ予讃本線の急行「うわじま」は5:00発車、高松駅〜中村駅・宇和島駅間を結ぶ土讃本線中村線(宇和島編成は窪川駅から予土線経由)の急行「あしずり」は5:04時発車であるため1時間以上も高松駅ホームで待ちぼうけを強いられた。

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