概要
東方Projectに登場する古明地こいしと宇佐見菫子のカップリング。
両者は『深秘録』で出会っており、こいしのルートでは直接対峙している。
『東方深秘録』
『深秘録』の時点では様々なキャラクターたちが「都市伝説」を操ってその能力として行使することができるようになっており、その流れはこいしの住まう地底にも訪れていた。その影響の中で、こいしは都市伝説の一つである「メリーさん」と関わりを持った。
こいしは「メリーさん」の決め台詞である「 今、貴方の後ろに居るの 」というフレーズを実際に使ってみたいという想いもあって、まさに菫子が暗躍していた『深秘録』時点での幻想郷(地上)へと繰り出していく。こいしの興味は主に都市伝説の「メリーさん」にあり、オカルトボールには余り興味はなかったようである。
しかしいざ地上で「メリーさん」の脅威によって怖がらせてみようと試してみるものの、相手からの反応は想いの他鈍かった。その理由がこいしにはわからなかったが霧雨魔理沙によってそもそもの問題点を的確に指摘され、人々の反応の薄さの訳を理解する。
この発見をもとに、こいしは、次からは相手が「メリーさん」を恐怖の対象として充分に理解するために必要なとあるアイテムの知識を持ってるかどうか尋ねることから始める事にする。
そして試す相手を求めて訪れた夜の博麗神社にてその機会が巡ったのであるが、実際にその試みが成功し、さらにはこいしが期待した「メリーさん」に対する反応を最も良く示したのが菫子である。こいしは絶妙な反応を示した菫子に、「メリーさん」の脅威でもって意気揚々と弾幕戦を仕掛けるのである。
菫子にのみ「メリーさん」が通用した理由は、端的には菫子にとって「 電話 」(菫子の場合はスマートフォン)が常用ツールとして身近なもので、かつ実機を持って幻想郷へとやってきていたためであり、「電話」を介した怪異である「メリーさん」の意味が的確に伝わったことによる。
これまでのこいしの「メリーさん」の不具合は、幻想郷では「電話」を介したそれが伝わりにくく、それを通した怪異もまたその恐怖が伝わりにくかったことに由来するのである。
こいし「 もしもーし ねえ電話に出てよう 」
菫 子「 そういえばそんな怪談あったっけ? 」
(『深秘録』、「 最初の邂逅は奇跡のタイミング 」)
二人のスペルカード戦は菫子が逃げ出すという結果となる。
その際にこいしは菫子のスマートフォンを拾い、これを地霊殿に持ち帰っている。そして地霊殿では古明地さとりと「 電話 」について話し合いながら、手に入れた「 電話 」で引き続き「メリーさん」を楽しんでいる。
こいしは「メリーさん」が通用したことに満足したようである。
一方の菫子にとってはこれが正式に入り込めた(と菫子が思っている)幻想郷での最初の出会いでもあった。菫子本人は幻想郷にやってくるルートが出来た事を確認し、この夜はすぐに引き上げるつもりでいた。しかしたまたま神社にやってきていたこいしと遭遇したことで、菫子は幻想郷に入って最初にEX級の恐怖を味わったのである。
そしてここから、実はこの進入によって退路を断たれていた菫子の、『深秘録』における「 怖い夜 」が始まるのである。
『深秘録』後
幻想郷の恐怖を味わわされた『深秘録』以後、菫子は別の形で幻想郷を訪れる術を得て、再び幻想郷へとやってきている。その来訪は菫子本人が睡眠中であるという制限のあるものではあるが、来訪中は菫子も幻想郷を楽しんでいるようである。
『深秘録』作中ではその後のストーリーと思われる菫子とこいしの対戦モードにて、当初の出会いの際のようなホラー的な緊張感のあるものとは異なる落ち着いたセリフが交わされている様子が描かれている。
例えば菫子の「 苦手 」なタイプのホラー(あるいは広く苦手な他者のタイプを指すか)が吐露されたり、こいしが持ち帰ったスマートフォンの今の状況が語られたりなどである。こいしによれば件のスマートフォンは『深秘録』以後「 うんともすんとも 」言わなくなっており、これはおそらく単に電力切れによるものとも思われるが『深秘録』におけるこいしの立ち絵カット(春河もえによるもの)からは「 動かなくなった 」というその一連のセリフに独特の迫力がある。
「 メリーさん? そんなの着信拒否でしょ 」(菫子、対こいし戦勝利セリフ。『深秘録』)
『深秘録』での出会いの後も菫子は夢を通して幻想郷へ、こいしもまた地上世界へと顔を出している様子が見られている。
例えば文々春新報創刊号では菫子は複数記事に渡って幻想郷での本人へのインタビューも含め特集が組まれており、こいしについては地上の人間の里を歩くこいしの姿が写真におさめられているなど、主たる所在地こそ異なるものながら共に出会う場所である幻想郷(地上)に足を運んでいる様子がみられている(『東方文果真報』)。
幻想郷での交流の様子は『東方憑依華』でも一部見られており、同作中ではそれぞれ別の相手と完全憑依のコンビを組み、互いのストーリーも交わることはなかったが、『深秘録』同様に自由対戦モードでの対峙も設定することが出来る。
菫子によれば『深秘録』以後いつのタイミングかは不明ながらこいしらの地霊殿も擁する「 地底 」にも行ったことがあるようで、「 幻想郷は奥が深い 」と感嘆の念を語っている。一つの可能性として、菫子は茨木華扇のガイドの元で幻想郷のオカルトスポット巡りを行っており(『東方香霖堂』)、この一連のツアーに地底世界が含まれていたのかもしれない。
こいしからは菫子の超能力について語られており、「 スプーン曲げられるんだってー? 何か凄いような そうでも無いような 」とこいしらしい飄々とした様を見ることが出来る。
また『憑依華』では完全憑依のコンビごとにメンバーの二つ名を組み合わせた独自の二つ名が設定されるという要素がある。こいしと菫子の場合は二人それぞれの二つ名である「意図せずに心を閉ざしたサトリ」(こいし)、「神秘主義で扱いに困る女学生」(菫子)の要素をマスターとスレイブごとに組み合わせて「 意図せずに扱いに困る二人 」(「こいし&菫子」)「 神秘主義で心を閉ざした二人 」(「菫子&こいし」)となる。
その他の二人の関連
対人関係
こいしと菫子は、それぞれが登場する以前、または登場に至る経緯に他者との対人関係への拒否がある。
こいしはかつてはサトリ妖怪として他者の心を読む事が出来たが、他者にとっては心を読まれるということは不快または脅威であり、「 心を読む事で嫌われる 」(『地霊殿』)と知ったこいしは第三の眼を閉ざし、サトリの能力を閉じた。
しかしこれは己の心を閉ざすことでもあり、他者から「 嫌われる 」ことが無くなることと引き換えに「 好かれる 」こともなくなった。
さらには他者から認識される事もなくなるなど、こいしは他者の意識の外の存在へと変化した。
「 心を読む力は、自らの心の強さでもある。
それを嫌われるからと言って閉ざしてしまう事は、ただの逃げであり、
結局は自らの心を閉ざしたのと変わらない。他人の心を受け入れないで
完全にシャットダウンする事なのだ。 」(『地霊殿』、おまけテキスト)
一方の菫子は自身の特殊な能力、自身の調べで得た知識などに基づく「 全能感 」から、それらを持たない他者とは自身は異なるものと捉えていた。その相違の程は、自分は他者と「 種族が違う 」という認識にも至っていたようである。
そんな菫子にあって、他者は自身を平凡な存在へと落し込む悪意の存在であったのである。
高校では菫子は「 人を追い払う為 」にオカルトサークル「 秘封倶楽部 」を結成し、他者との交流を断った。
こいしと菫子は互いにそれぞれの理由から他者への拒否の歴史があるのである。
ただし菫子自身は自身の境遇を否定しておらず、こいしは心を閉じて以降「 寂しさ 」さえ感じる事が無いなど、「 他の人から見たら無惨 」(菫子への評、『深秘録』)、「 可哀想にも見える 」(こいしへの評、『地霊殿』)という他者評とは裏腹に本人たちは悲観の中に居る訳ではない様子でもある。
その一方、こいしと菫子はいずれもそれぞれの出会いを通して互いに他者に開かれる、あるいは開かれたいと望む想いを抱くようになっている。
こいしは姉であるさとりが与えたペットを通して他者とのふれあいを得、その様子には他者の心を受け入れる基のようなものも芽生えていたようである。さらに『地霊殿』作中で語られたような地上で出会った「 未知なる人間 」との出会いは「 すっからかん 」(『東方求聞口授』)であったこいし自身に他者への積極的な興味を喚起させた。
そしてこれ以後のストーリーである『東方心綺楼』では、他者から向けられる応援や決闘を通しての熱狂、「 希望 」に喜びを見出すなど、その心理は大きく変容している。
菫子は『深秘録』の一件を通して自分の知識や想像以上の体験を得た。
多様な生身の体験は菫子の他者観を大きく変え、幻想郷での出会いは実際の菫子の周囲においても「 友達を作るのも悪くない 」と思わせるようになった。少なくとも幻想郷にやってきている間は様々な他者と交流し、菫子はその人間関係を楽しんでいるようである。
無意識と超能力
こいしは「無意識を操る程度の能力」、菫子は「超能力を操る程度の能力」をもつが、いずれも人間の身体の延長及び身体の影響力といった物理的な範囲以上の領域にアプローチするものである。
超能力はその発露の基盤に心理学的な無意識の潜在的な能力を仮定する学説等があり、あるいは超能力とは意識の外(脳の機能による無意識的知覚)の処理がもたらす錯覚(例えば錯視・錯誤の類)であるとする説もあるなど、肯定・否定の両立場においても両者は未だ未知なるその「正体」を考察する際に絡み合って語られる事もある。
また菫子は『深秘録』以前から、こいしは『深秘録』周辺から関わりを持っていたオカルトについても、その基盤にその肯定・否定の双方の立場いずれにおいてもそれぞれの視点からの「無意識」を設定するものもある。つまりは無意識も超能力も関係づけて語られる事のある一方で、現実にはよく判っていない両者でもあるのである。
この他超能力は大人になると失われる、などの通説があるが、成長とともに何かが喪失するという視点においては子供時代だけ「出会う」事が出来るイマジナリーフレンド(イマジナリーコンパニオン)とも類似している。こいしは作中においてイマジナリーコンパニオンそのものであるとも語られている(『求聞口授』)。
帽子
作中ではともに色の深いつばの広い帽子をかぶっており、色あいと結びの位置こそ異なるもののともにリボンを結んでいる。『深秘録』ではともに決闘前後のアクション(こいしの場合は決闘中にも)に帽子をとる演出もあり、互いの衣装にして表現のスタイルのツールの一つとしても帽子が使用されている。
二次創作では
二次創作においては二人を繋ぐものとして先述のスマートフォンが登場する事も多い。
何らかの形で両者が接点を持ち得るアイテムとしてこれが考えられる事もある。
『深秘録』作中では菫子はこいしの恐怖を味わったが、こいし自身は非常に満足しており、こいしが「 外の人間 」である菫子を覚えている事(または思い出す事)があれば、あるいは菫子に肯定的な感情を寄せるかもしれない、という視点もあり、カップリング的な「こいすみ」においては両者の出会いにおける気持ちのギャップが後々の両者の関係性に与える影響なども考察されている。
またこいしの二次創作では一般にこいしの無意識の作用の仕方が極めてトリッキーなものとして語られることもあるため、菫子はこいしの無意識に巻き込まれるように幻想郷や外の世界などで予想外の体験をする、というものもある。
例えば無意識のうちに地霊殿にお呼ばれされ、気付けば地底の奥底、といった菫子からすれば荒唐無稽な状況が突如として起こり得る、といった構成は「こいすみ」に特徴的なもののひとつである。そして得てしてこいしに悪意はまるでない。コンセプトとしては「無意識なら仕方ない」にも通じる。
この他には先述のようなそれぞれの歴史に見る他者とのそれぞれの関係性からそれぞれなりの苦悩を想像するものなどのシリアスなストーリーを構成するものもありものもある。
無意識の存在であるこいしは菫子にとって意識で掌握している「 知識 」では測り得ない存在でもあり、菫子にとってはこいしもまた生身の体験によってしか識ることのできない存在である。友達を作ることに開かれようとしていた菫子はイマジナリーコンパニオンでもあるこいしと出会い、『心綺楼』の異変を通して人々の「 希望 」の心地よさに触れたこいしは『深秘録』において他者に期待していた反応のうちで最も率直な反応を示してくれた菫子と出会った。
こいしと菫子はその歴史もさることながら今まさに求めあうものの一致もみているなど、その相性の良さが二次創作においても様々に考察されている。