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「あ~いとぅいま~てぇ~ん」


概要編集

日本のお笑い芸人。

  • 本名:斉藤 哲也
  • 出身:東京都足立区。
  • 吉本興業東京本社(東京吉本)
  • 東京NSC7期生

ロックな人生編集

幼少期は、自身の意志が無く目立つのも嫌いだった性格で、小学校マラソン大会では1位になる実力があったが、目立ちたくなかったが故に常に2位を小学1~6年生の間、キープしていた。

小学5年生のエピソードで、1位だった同級生のツルオ君がゴール目前でしゃがみ込んでしまった時、『ですよ。』は咄嗟に彼を抱きかかえ、ツルオ君を先にゴールさせたと言う。しかし、この事が原因先生方から賞賛される事になったが、『ですよ。』自身はこれが非常に嫌だったそう。


ただ、キャプテン翼に憧れ、サッカーがやりたい」と言う思いは子供の頃からあったようで常にの中はサッカーの事でいっぱいだった様子。

小学生の時にサッカーをやろうとするが、クラスのリーダーに「野球をやろうぜ!」と誘われ小学1~6年生まで野球をやってしまう。(因みに、野球は嫌いだった。)


中学生に上がった際、再度サッカーに挑戦しようとした矢先に(同じくクラスリーダー)「バスケットボールやろうぜ!」と誘われてしまいサッカーを渋々諦める事となる。

サッカーを本格的に開始したのは、高校生の時であった。

ただ、サッカーの想いは強かったが、想いだけの素人だった為に実力のある部員と自身の差にショックを受けてしまう。

しかし、サッカーを諦めたくなかった『ですよ。』は、部活終わりに毎日3時間の自主練習母親から貰ったお小遣いジュース代金100円を、毎日最寄りの神社賽銭箱に投げ入れ「サッカーが上手くなりますように!」と願い続ける。その思いは届かなかった……に思われるが、自身が願っていたレギュラー背番号ポジションがそっくりその通りとなりチャンスを掴む事に成功する。

その時、彼は「やり続けてれば、報われる」と実感した。この経験から「あ〜い、とぅいまてぇ〜ん!」を辞めずにやり続けている。


挫折。そして新たな道編集

芸人を始める前の学生時代お笑いが好きでボケツッコミをしていた。

「お笑いをやろう!」とも思い始め、その際に目を付けていた同級生を勧誘するも「何、本気にになってんだよ!男は嫌な事でも、家族の為に60歳まで働かなくちゃいけないんだよ。」と言われ「嫌な事を60歳まで続ける位なら、半分の30歳まで死んでもイイや。」と思い始める。また、この時『ダウンタウン』や『ウッチャンナンチャン』を見ていたので芸人コンビでやるものだ。」と思っていた為にお笑いをやるのは難しいと感じ始めた時にJリーグ開幕する。


とあるJリーグの試合をテレビで観戦した際に、サッカー熱が再燃しサッカー留学を決意する。三浦知良選手等にも憧れていたが「自身はそんな才能は無いが、99.999…%可能性は無いが0.001%は地球上にいたら可能性はある。」と思い、高校を卒業したらサッカー留学をする事を念頭に高校在学中にサッカー雑誌等に目を通したり、電話でサッカー関係者に(金銭的な理由もあって)「物価が安くてサッカーが強い国無いですかね?」とある関係者に尋ねた際にボリビアがある。」と返事が来た。


そして、サッカー開始が遅咲きだった『ですよ。』は高校卒業式の夜に単身ボリビアへ飛行機で渡った。中継空港のサンパウロ空港到着後、ボリビア行きの飛行機を待っていた際、日本人ぽい人がいたからと言う理由である人に喋りかける。

その人は、韓国人だったらしく英語で会話している内に親しくなっていき「友達を紹介してあげるよ。ここのホテルで待ってて。」と言われ、ボリビアのホテルで待っていた時、その"友達"である日系人が来た為に『ですよ。』は「サッカーをやりたい。」と語る。

これにより、『ですよ。』はその日系人と偶々同居していたボリビアでプロサッカー選手をしているブラジル人チームに加入に成功する。


サッカーチーム『レアルサンタクルス』の20歳以下のクラスで『ですよ。』はサッカー選手として4年活動していた。

生活費は親から5万円しか貰えておらず、練習の合間を縫って現地ボリビアの「ナガサキ」と言う名の日本食店でバイトをし練習を続けた。

また、当初はスペイン語は理解が出来ていなかったが徐々に理解出来る様になったり、コミュニケーションを取れるようになっていた。孤立無援の状態で4年間、彼は頑張ったのだ。


21歳の時、そのクラスを脱退しなくては成らなくなり日本へ帰国。

諦めきれなかった『ですよ。』はJリーグの各チームに手紙を出すと、徳島県の当時JFLだったチームから「来ていいよ。」と声が掛かりチームに参加するも23歳の時にプロ入りが出来なかった為に諦める事になった。


絶望の最中、24歳の時に同級生と再会し「サッカーはダメで今フリーターやってるんだよ。」と告白すると周りから「やっぱりだめじゃん。」と言われてしまい再び悔しい思いを体験し帰宅

その日の夜『極楽とんぼ』の『輝てるひこ』を目にし落ち込んでいた『ですよ。』は励まさせる事を体験する。

この時、お笑いへの道が再び切り開かれる。そして養成所であるNSCに入るきっかけとなった。



「あ〜い、とぅいまてぇ〜ん!」に関するエピソード編集

  • 誕生秘話
    • NSCに入りたてだった『ですよ。』はネタが滑ったら「はいすみません……。」口癖の様にしていた頃、『ルミネtheよしもとオーディション』でピン芸人で唯一の合格者となった。1分間のネタ披露がされる場で、NSCでウケてたネタを観客の前で披露した際に会場が静まり返ってしまい、咄嗟に「はいすみません……」を濁した「あ〜い、とぅいまてぇ〜ん!」を披露すると、会場が笑いの渦に包まれた。完全なアドリブだったのである。

  • 未完の「あ〜い、とぅいまてぇ〜ん!」
    • 『ですよ。』自身、この「あ〜い、とぅいまてぇ〜ん!」は完成していないと語る。練習風景を目撃した千原ジュニア氏は「壁に向かって、シャドウあ〜い、とぅいまてぇ〜ん!をやっていた。」と語る。
    • で練習する際は、1日に28回以上は必ずやるようにしてるそう。何故、28かと言うと「28(回)×365(日)=1万回になる為、それ以上は絶対にやろう」と決めている。(50回や100回の時もあるそう。)
    • 周りがいくら受けようと100点を貰おうとも、『ですよ。』自身は全く納得が出来ないと語る。
    • 「あ〜い、とぅいまてぇ〜ん!」は「あーい」「とぅいま」「てん」の3つから構成されてるらしく、例として「あーい」が100点、「とぅいま」が100点と来ても「てん」が100点に成らない事が常にあり合格出来ていないと言う。

  • 「あ〜い、とぅいまてぇ〜ん!」をやり続ける理由
    • 彼曰く、「自身は何も出来ないから、このネタで勝負を掛けたくて、これでしかないから。」だそう。その為、このネタには真摯に向き合っている。

芸風編集

ラッパーの出で立ちで「YO!YO!ですYO!、YO!YO!ですYO!」から始まり「『ですよ。』の最近は、あやまることばっか。」から「今日も昨日も一昨日もあやまることいっぱ〜い。そ〜いうこと〜。」と続く。

その後「『ですよ。』この前〜」から始まる善意行為を紹介した後(このとき「〜したんで・す・YO!」のYOを特に強調)、失敗談に切り替わる(「そしたら〜SO!」で失敗談を続けるがSOはカメラ目線)。最後に「あ〜い、とぅいまてぇ〜ん!」といって謝る芸である。

尚、よくネタに出てくる単語として「チョココロネ」が引き合いに出させる。


その他編集

主にエンタの神様に出演していた。(エンタ以外ではほぼ見かけなかった。ただ出演はたった5ヵ月で登場回数は20回と他の出演者と比べて圧倒的に少ない。)


YouTuberカジサック氏のチャンネルにも時々出演する。

千原ジュニア氏のYouTubeチャンネルに出演した際には、ジュニア氏のが『ですよ。』のファンだった為に全力で持ちネタを披露し動画を撮らせてもらった。また、娘自身も『ですよ。』の衣装に似せた服装をしていた程であった。


NSCに入る前はボリビアで4年間サッカー留学をしていた。として、激レアさんを連れてきた。では「芸風からは全く感じ取れないが、かつてボリビアで4年間サッカー選手としてプレーしていた人」として紹介された。


関連タグ編集

お笑い芸人 ラッパー マイク チョココロネ

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