概要
きっと彼が初めて知る悔し涙から学んだ人間性の現れ。
悔しくても泣くんじゃねえ
伊之助は赤子のころから野生児として大自然で暮らしており、彼が深く人間の社会生活へ触れたのは鬼殺隊に入隊してからだと窺える。それまでは動物などと力比べが生き甲斐であり、彼の代名詞「猪突猛進」で己意外の事はほとんどお構いなしであった。
鬼殺隊士となり、竈門炭治郎・我妻善逸・竈門禰豆子と行動を共にしたり、他に多くの人たちと関わってからは、始め薄かった協調性が徐々に深くなっていった。これと同時に相手と競うのではなく(おそらく馴染みが薄かった)「思い出」を共有する経験を得ていく内に、伊之助の人間性は成長していき、野生では得られなかった多彩な感情を獲得していく。
無限列車編の終盤。
今の己では到底及ばない領域を知った。身の毛が逆立ち、ただ立っているしか出来なかった異次元へ踏み込んでいった強者達の姿を目の当たりにして心がざわついていた。
この感情はきっと〝惨め〟というのだろう…。
そう感じてしまう程の熾烈極まる闘志の炎(ほむら)がぶつかり合い、ただ傍でみているしか出来ず、今の己では進み出せないと肌でまざまざと分かる至高の戦いだった……。
だが今はどうだ。
決着の時、勝ったというのに負けたとも感じる、さらに何も出来なかった己は只々生きている現状…………。
この感情はきっと〝恥〟というのだろう…。
己が猪突猛進しようとした世界は深くて遠くて高くて強くて、今の己は数ある生き物たちの中で只の一匹にすぎない獣と痛感するような衝撃(ショック)だったのかもしれない。
だが生きる。
(なんか凄かった)最高の強者(あにき)と交わした言葉は少なくとも心で理解できた。どんなに惨めでも恥ずかしくても生きてかなきゃならない事があると伊之助は学んだのだった。
補足
伊之助に限らず同期の隊士たちも気持ちは同じだった。出会って1日どころか半日も経っていなかったが、煉獄杏寿郎を最高の兄貴と実感するには充分な交流だった。そして壮絶な戦いの後、命が尽きる最期の一時に彼から「信じる」と託された少年少女たち。
兄貴に守られた。
その立派な行き様に感化された若者たちは、各々で彼の心(はしら)を繋ぐ意志を固めた。ただこの時ばかりは溢れ出る感情(なみだ)が止まらないのだった……
かけがえなく頼れる先人(あにき)を看取り、失った悲しみの他、彼が「信じる」と言っていたような人間になれるか、それに応えることが出来るのかと・・・
『 なれるか なれねぇかなんてくだらねぇこと言うんじゃねぇ!! 』
『 信じると言われたなら それに応えること以外考えんじゃねぇ!! 』
『 死んだ生き物は土に還るだけなんだよ 』
『 べそべそしたって戻ってきやしねぇんだよ 』
伊之助なりの荒々しい言葉で仲間を励ます。そして彼の人物背景から、生きる糧として他の命を喰い物にするのではなく、他の命を悔いる事で生きる糧とする学びと生き様を、それを繋ぐ努めがある事を知った心情が察せられる。
荒削りな言葉遣いに、伊之助らしさがある言葉(せりふ)と一幕であった。