やみのせんし
やみのせんし
ラダトーム地方が闇に覆われた元凶となっている戦士。その姿はエリミネーターやさつじんきなどと同系統の、というかもっと有名なところはカンダタの系列に入る。
終盤になると入れるようになる「やみのとびら」の向こうで待ち構えている。本人はこの世界の王だと思い込んでいるようだが、その肩書きは「偽りの王」。狂った笑いをあげながら、自分の下に足を踏み入れた主人公を無礼者とみなして襲い掛かってくる。重要アイテム「にじのしずく」の材料を手に入れる為に倒さなければならない相手。
攻撃は隙が大きいが威力が高く、HPをある程度減らすと回転斬りまで繰り出してくる他、お供のメーダロードまで呼び出してくる。
撃破すると倒れるとも正気に戻るでもなく、叫び声をあげながらどこかへ逃げていく。その後の彼の行方は不明。
彼こそ、ある意味本作の物語のはじまりを作った人物であり、その正体は初代『ドラゴンクエスト』の勇者。それがなぜこんな姿をしているのかというと、りゅうおうの問いに「はい」と答え、「世界の半分をやろう」という誘いに乗ってしまったから。
しかし実際は自分を陥れるための罠に過ぎず、文字通り地上を「闇の世界」に塗り替えられた挙句に約束を反故にされ、「セカイノ ハンブン」と書かれた建物に閉じ込められた。そして長期間の幽閉が祟ったのか、発狂してしまった。
初代『ドラゴンクエスト』の時代からすでに100年以上経っていること、闇にわずかな光が差し込んだのを見ただけで苦しみだす点から、既に人ならざる者になり果ててしまった可能性が高い。一応初代『ドラゴンクエスト』にも100年近く、あるいはそれ以上生きているであろうキャラはいるにはいるが、勇者が同じ位の年数が経っても生きている事は本来あり得ない。
一応ロトのつるぎやロトのたてっぽい武具は持っているが、よく見ると赤い宝石部分が抜き取られている。
ちなみに『ドラゴンクエストⅤ』発売当時、主人公のデザインに宝玉をつけなかった理由として、宝玉は勇者の象徴としてのデザインであることが理由であった(勇者でない主人公というシリーズ初の設定である)。つまり宝玉を抜き取られた武具を所持している=勇者の資格が剝奪された存在、ということを暗に示している。
他にもローラ姫からもらった「おうじょのあい」を今尚首に下げている姿が、生々しく哀しい。
ルビスからは「闇に囚われた者」と称される。カンダタ似の姿も、先祖である『ドラゴンクエストⅢ』の勇者オルテガ(FC版)をモチーフにしたことは容易に想像がつく。
エルの考えでは、今まで真面目に過ごしてきた上、周囲から勇者であることをもてはやされてきたため、自らの意思で行動を選ぶことがなく、自由に自分の道を進むことを知らなかったため、りゅうおうの問いに純粋な好奇心を動かされ、どうなるかを知りたくて選択したのではないか、とのこと。
言い方を変えれば自由に自分の道を進んでいるわけではなかった『ドラゴンクエスト』の冒険は超人的な力と謎を解く知恵さえあればりゅうおうの元へはたどりつけるものだった。しかし、最後の最後に「腕っ節」でも「知恵」でもなく「己の意志」を初めて試された相手が、よりによって竜王だったことが勇者にとって不運であった。
事実、りゅうおうの誘惑を乗り越えたトゥルーエンドの場合は、勇者はプレイヤーの選択の関わらない自分の意思で自分の進む道を選ぶ事を選んでおり、はねのけたとはいえりゅうおうの誘惑は、その後の勇者の思想や行動に大きな影響を与えていた事が窺える。
これはリアリティある話で、現実でも真面目すぎる人がハメを一旦外すと、そのハメの外し方が非常識なものになってしまい、予期せぬトラブルを招くことはある。総じてステレオタイプの英雄像の弱点を突いた解釈と言えようか。
ファミリーコンピュータ版にてりゅうおうの勧誘に興味半分で誘いに乗ってバッドエンドの憂き目を味わった人も多かったであろうことを考えると、なんとも感慨深いというか…複雑な話である。
更に、本来名前のないNPCは「*」で表されるのだが、こいつに限っては「****」。