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概要
アマギハピネスは、漫画『ウマ娘 プリティーダービー スターブロッサム』に登場する、オリジナルウマ娘。
寅さんを彷彿とさせる帽子と上着とトランクを持ち歩いているウマ娘。チームアルケスに所属しているがしばらくの間(4か月)の間、サブトレーナーの川瀬と旅(遠征?)に出ていたため、ローレルとは面識がなかった。『泰然自若』をモットーにしている自由人だが、その走る実力や強者を追い求める姿勢は本物。
ヨシノプリヴェールとは仲があまりよくないようで彼女をのらりくらりとかわしているが、その競走者としての力は認められている様子。
元ネタは史実との照合から「サクラスーパーオー」と思われる。
名前の由来
桜の品種「アマギヨシノ(天城吉野)」と乗馬時代の名前「タカオハピネス」が由来と思われる。
競走馬『サクラスーパーオー』
葦毛の牡馬で、現役時代、とくに3歳時はまたまだ黒かったため鼻筋の太い流星が目立っていた。
サクラチヨノオーの初年度産駒であり、母は葦毛のフランス馬メールディヴオワール、母父はベリファ。
鞍上は坂井千明(デビュー2戦)→小島太(3~6戦目)→的場均(皐月賞以降全て)。
サクラ冠ではあるが、馬主「さくらコマース」御用達の境勝太郎厩舎(ヴィクトリー倶楽部の元ネタ)ではなく、小島太の騎手時代の同期でサクラスターオーを育てた平井雄二調教師が管理。担当厩務員は小城誠。
トモが甘く不器用で加速までに時間を要するが、天性のバネの持ち主であり、トップスピードに達した時の末脚は世代トップクラス。だが、悲しいかな脚元が弱かった。
ソエ(骨膜炎)のせいで十分な調教を詰めぬまま新潟でデビューし、1200m戦を2戦連続4着。
関東に戻って「サクラ冠」御用達の小島太に乗り代わり、3戦目の中山1600mで初勝利をあげると、いちょうステークス→葉牡丹賞と2戦連続2着。
その後、休養期間を明けて翌94年4月の「山桜賞」を後方からの差し競馬で制し、駆け込みで皐月賞に出走することができた。
小島太は弥生賞を制したサクラエイコウオーに騎乗する為、鞍上は的場均に交替。
的場騎手は終盤まで後方で脚をため、仕掛けどころで手前を変えるよう指示を出す。
すると最終コーナーを大外から回ったところでスーパーオーのエンジンが掛かり、文字通り直線一気の末脚が炸裂。
9番人気の前評判を嘲笑うかのごとく、前の馬を次々斬り捨ててレコードタイムでゴールを駆け抜ける。
だが、彼の前には"シャドーロールの怪物”がいた。強烈な追い込みを見せたスーパーオーの上がり3Fを更に0.1秒上回る最速タイムを叩き出しての圧勝。
3馬身半ちぎられた皐月賞2着。だがその後のナリタブライアンの活躍を考えれば、スーパーオーの秘めた強さの程はわかって頂けると思う。
大レースを経験したことで精神的な成長も見られ、陣営は次なるダービーでの雪辱をと燃え上がっていたのだが、調教を積む中で右前脚に屈腱炎を発症。
2年もの長い療養を経て、サクラローレルの中山記念復活勝利の1週間後、1996年3月16日に復帰。
復帰3戦目の薫風ステークス(東京1800、1500万下)では見事に復活勝利を果たした。
だが直後、屈腱炎が再発。再び休養に入り、11月の富士ステークス16着を最後に現役を退いた。
通算成績:11戦3勝 2着4回(GⅠ1)
生涯獲得賞金:9040万6000円
現役引退後は乗馬となり、JRAの馬事公苑や大学の馬術部を経て、新潟県三条市の三条競馬場跡地に開業した「三条乗馬クラブ」で乗馬として余生を過した。
動画撮影者:佐々木祥恵(現「ノーザンレイク」スタッフ)
乗馬としての名前は「タカオハピネス」。
地元・新潟の様々な祭に呼ばれては、すっかり白くなった綺麗な馬体で人気者になっていたという。
史実でサクラスーパーオーと対戦経験のあるウマ娘
強調はサクラスーパーオーが先着したレース。◎は勝鞍、☆は勝ち馬。
〈○〉はスターブロッサムに登場
〈★〉はメインストーリーに登場
- 94世代(同期)
・ヨシノプリヴェール(○サクラエイコウオー)……94年皐月賞
・鹿毛のウマ娘(★グルメフロンティア)……96年東風S 総武S 薫風S◎