概要
1929年10月に設立、翌1930年から運行を開始した。設立に当たっては、アメリカの航空機メーカーであったカーチス・ライトが1枚かんでいた。
その後、やはりアメリカの航空会社であるパンアメリカン航空の傘下に近い状態となった。
1902年に独立を果たしたとは言え、アメリカの保護国の様なものだった当時の国情を考えれば、これらはある意味宜なるかな。
第二次世界大戦後は国際線に本格的に進出、アメリカ(ニューヨーク)はもちろんの事、かつての宗主国のスペイン(マドリード)などにも就航した。
ところがいわゆるキューバ革命の影響でメキシコ以外への国際線は運休状態となった。
しかも極端な体制の変化に対しアメリカは国交断絶を言い渡し、経済制裁を課したたばかりか、キューバ航空機が領空を飛ぶことすら禁止してしまう。
そのため体制の変化により友好国となったソビエト連邦(モスクワ)や東ドイツ(ベルリン)などへの航空路線を開設するに当たっては、国交が維持されたカナダで給油しなければならなくなったうえ、一旦アメリカの領空を避けての迂回飛行を余儀なくされてしまった。
その一方で、ソビエト連邦から旅客機を、それこそダンピングに近い状態で購入し、アメリカ製やイギリス製の機体を置き換えていった。
また、中米諸国への国際線も、一部を除き再開、さらにはマドリードへの路線も再開している。
だが、東ヨーロッパ諸国の民主化に伴いそれらの国々への路線はほとんどが廃止に追い込まれてしまう。さらにはアメリカからの経済制裁も続いていたことから、西側諸国の機体は他の航空会社などから借りなければ飛ばせない状況が基本的に今なお続いている。
そんなこともあってか、国内線や他の中米諸国への国際線にはウクライナ製の高翼式の双発ジェット旅客機であるアントノフ158が使用されている、のならまだしも、カナダやスペイン、アルゼンチンなどの長距離国際線にはロシア製の長距離用4発ジェット旅客機のイリューシン96-300と言う、今となってはロシアの航空会社であるアエロフロートですら使用していないという代物を飛ばしている有様である。