概要
1953年アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン生まれという、生粋のニューヨーカー。
1978年より歌手活動を始め、「Girls Just Want to Have Fun」や「グーニーズはグッドイナフ」など多数のヒット曲を生み出した、アメリカ屈指の女性ポップスシンガー。
来歴
1978年、26歳の時にバンド『ブルー・エンジェル』を結成し、1980年、28歳の時にアルバム『BLUE ANGEL』でデビュー。従来のロカビリーサウンズにニューウェーヴカラーを加えたネオ・ロカビリーとしてリードナンバー「I'm gonna be strong」などが注目を浴び、評論家から肯定的な批評を得るが、セールス的には失敗し、バンドは解散。楽曲の利権などを巡る泥沼に巻き込まれたシンディは自己破産にまで追いやられ、表舞台から姿を消す。
1983年、31歳の頃にマネジメント業のデビッド・ウルフと知り合い、彼のつてでソロ・デビューのチャンスを掴み、同年、アルバム「she's so unusual」でソロ・デビュー。アルバムは瞬く間にヒットチャートに登り詰め、全米4位、全世界の累計売上は2200万枚売り上げ、80年代に最も売れたアルバムのひとつとなった。
1984年、同アルバムからシングルカットされた「Girls just wanna have fun(邦題:ハイスクールはダンステリア)」は全米2位を記録。累計売上はアメリカ国内で100万枚、全世界で800万枚を記録。彼女のシングルで最も売れた作品となり、アメリカで最も有名なポップ・ミュージックの一つとなった。更に同アルバムからリカットされたセカンド・シングル「Time after time」は、初の全米1位を記録。様々なアーティストにカバーされるスタンダード・ナンバーになる。サード・シングル「she bop」は全米4位、フォース・シングル「All through the night」は全米5位を記録。これにより、一枚のアルバムから4曲連続でTOP10を記録した初の女性ソロ・シンガーとなり、人気を不動のものにする。
1985年、グラミー賞では最優秀新人賞を授賞。同年、20世紀最大のチャリティーと呼ばれた「we are the world」に参加。彼女はグラミー賞に参加した直後にレコーディングに参加し、レコーディング中にアクセサリーの宝石をジャラジャラ鳴らしすぎてノイズを発生させるというハプニングを巻き起こすも、シンディはアクセサリーを気前よく外して、逆に場を和ませたというエピソードがある。また、同曲ではかなり個性的なボーカルを発揮した。
1986年、アルバム「True colors」をリリース。全世界800万枚を越える大ヒットとなり、アルバムからリカットされたリードナンバーの「True colors」は二週連続で全米1位を記録し、全世界で累計400万枚を売り上げた。同じく、同アルバムからのリカット「change of heart」は全米3位を記録。以降、主演映画の大コケや、恋人の離別を経て、大きなスランプに陥る。ゴシップ誌には「シンディのキャリアは完全に絶たれた」と書き立てられるほどだった。
1989年、3枚目のアルバム「A Night To Remember」は、彼女の新境地を開いたアルバムとなった。全曲ラブソングで構成され、チャートでは全米34位、全世界で累計100万枚と、セールス面では振るわなかったが、アルバムからのリカットシングル「I Drove All Night 邦題:涙のオールナイトドライヴ」は、全米6位の大ヒットを記録。同アルバムの収録曲「Unconditional Love」は椎名林檎がシングル「歌舞伎町の女王」のカップリングでカバーした。以降はライヴやステージに活躍の場を移してゆく。
1990年、来日し、紅白歌合戦に紅組として参戦。籠から着物で登場するというパフォーマンスを披露し、「I Drove All Night」を歌唱。
1994年、初のグレイテスト・ヒッツ(ベストアルバム)、「twelve deadly cyns」をリリース。全世界400万枚を売上げ、日本では洋楽アルバムながらミリオンセラーを記録する。「girls just wanna have fun」のセルフカバー「Hey Now」はイギリスで最高4位にまで上昇し、ブリティッシュ・ヒットとなった。
1995年、日本の番組、オールスターものまね紅白歌合戦に来日して出場。「Hey Now」を披露し、明石家さんまから「ハイヒールのモモコやないやろな」と突っ込まれる。
2011年にはアルバム「Memphis Blues」が全世界で注目を浴び、久しぶりにアメリカの主要チャートに返り咲く。全米40位にランクインし、2011年に全世界で一番売れたブルース・アルバムとなった。累計売上は全世界で100万枚ほど。
彼女のキャリアではこれまでに4回グラミー賞を受賞しており、他にも「エミー賞」1回、「トニー賞」を2回受賞しており、役者やテレビタレントとして幅広いキャリアを形成している。尚、あと「アカデミー賞」を受賞するとショービズ界のグランドスラム「Egot(エミー賞、グラミー賞、オスカー(アカデミー賞)、トニー賞の頭文字を取った言葉)」を達成する為、これからの活躍に益々目が離せない。
人物像
アメリカンポップス界でも屈指の親日家。
これまでにも数回に渡りお忍びで来日するほど日本を気に入っており、移動の手段はもっぱら新幹線。
売店でビールとスルメを購入して、流れゆく景色を見ながら一杯やるのが一番のお気に入りだとか。
おまけに日本の番組ならものまね番組とか夜もヒッパレとかお構いなしである。