概要
シンボリモントルーは、1985年3月31日生まれ。
父は昭和末期の大種牡馬であるモガミ、母スイートイサベル、母父カーネルシンボリ。
1987年9月にデビュー。だが、平地時代は6戦して未勝利と結果出せなかった。この戦績を重く見た運営は障害競走に転じる事を決意。すると、3戦目で初勝利、昇級後3戦目で400万以下にも勝利してオープン入りした。1988年12月に中山競馬場で行われた障害オープンで初めてオープン競走に勝利すると、重賞初出走となった同年の中山大障害(秋)では3番人気に推された(かつての中山大障害は、1935年から1998年まで春と秋の年2回施行された)。リードを保って最終障害を迎えたが、ここでバランスを崩して騎手が落馬し、競走を中止した。
1989年は東京障害特別(春)から始動。レースでは5、6頭と共に先頭集団に位置し、最終障害を越えて先頭に立つと並びかけてきた、前年の京都大障害(秋)の優勝馬で1番人気のサイコーホークとの競り合いを制して優勝した。しかし、続く中山大障害(秋)では先頭のパンフレットから離される一方で3着に終わる。ここから1年以上にわたって低迷期が続き、1990年暮れの中山大障害(秋)では水濠障害でトモを落としてバランスを崩し、6頭立ての5着。1991年も東京障害特別(春)を8着、中山大障害(春)を3着と不振だった。同年秋シーズンは東京障害特別では8頭立ての4着だったが、続く障害オープンを連勝して復調を見せ中山大障害(秋)へ出走。パンフレット、シンボリクリエンスなどと共に先頭集団を形成し、最後の直線入口で逃げていたパンフレットを捕らえると、2着となったシンボリクリエンスも抑え、1馬身1/4の差をつけて優勝した。勝ちタイムは4分37秒2であり、この記録は2017年にオジュウチョウサンが破るまで、26年間レコードタイムとして記録された。平成初期の障害競馬誕生の瞬間であった。
1992年中山大障害(春)では連覇を狙って出走し1番人気となったが、シンボリクリエンスに8大差をつけられての2着に終わり、これを最後に引退した。
生涯成績は平地で6戦0勝、障害で29戦7勝。
伊引退後は、馬事公苑で競技馬として生活し、その後山梨県のララミー牧場に繋養されていたが、2009年以降の動向は不明である。