概要
単にジョット、ジオットと呼称されることが多い。
「絵画の祖」「西洋絵画の父」などと称えられ、その作品における立体感や人間性感情表現はそれまでの「豪華だが平面的で無感情」なビザンティン様式とは一線を画し、のちのルネサンス芸術へと通じる扉を開いた。
代表作は1304~06年頃制作のスクロべーニ礼拝堂フレスコ壁画『聖母及び救世主伝』。このうちの一枚『東方三博士の礼拝』の中に1301年に回帰したハレー彗星(と思われる彗星)が描かれており、それが由来となって1986年にESA(欧州宇宙機関)が打ち上げたハレー彗星探査機に「ジオット」の名前がつけられた。
ジョット伝説
ジョットは生前から大巨匠との評価を得ており、その天才ぶりを伝える逸話が多い。代表的なものを紹介すると……
- 少年時代羊飼いをしていたジョットが、平らな石にありあわせの顔料を用いて羊の写生をしていた。それを偶然通りかかった当時の高名な画家チマブーエが見つけ「素晴らしい才能だ!」と、自らの工房へ引き取り弟子とした。
- その工房徒弟時代。師匠チマブーエの留守中、製作途中の絵画にジョットが蠅をイタズラ描きした。やがて戻ってきた師匠はその蠅の絵を本物だと勘違いし、何度も筆で追い払おうとした。
- 有名絵師となったジョットをローマ法王が試そうと考えた。ところがその使者に立った男が何も知らぬくせに権威を笠に尊大ぶる無能者で、ジョットはそれに対してやおら筆をとり、大きな丸い円をひとつだけサッと描いて「これを法王に見せろ」と渡した。これじゃ駄目だ、もっとちゃんとした見本の絵を描けと言っても聞き入れず、仕方なく使者はそれをジョットの悪口と共に法王へ献上した。ところが法王側はそんなジョットの態度の真意と技巧的価値(コンパスも無しに綺麗で正確な丸い円をフリーハンドで描くことがどれだけ難しいか)を見抜いており、ジョットを雇うことに決めた。
- この円(tondo)という言葉には「鈍い・鈍感・知恵が回らない」という意味合いもあり、以後その種の人間を「あいつは“ジョットのtondo”だよw」と小馬鹿にすることが流行り、例の使者は赤っ恥をかくことになったという。
- ある時ジョットは仲間達と教会へ宗教画を見に行った。すると仲間の一人が「どの絵でもそうだが、どうして聖ヨセフ様はこんなに陰鬱そうな顔をしているのだろうか?」と言った。するとジョットがすかさず、「当たり前だろ。自分の許嫁の腹が身に覚えもないのに大きくなったのに、その子の父親が誰だかわからないんだからwww」と切り返し、一同大爆笑になった。
……ただしこれらのエピソードはどれも後代の伝記作家達の筆になるもので、ジョット自身が本当に言った、やったという明確な証拠は無い。
だが後世のゲーテがそうであるように「ジョットならこう言いそう」「ジョットならあり得る」と、その才知の高さを万人から評価されている、ということなのだろう。