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スリ

すり

相手とぶつかった瞬間にモノを盗む行為、またはそれを行う泥棒の名称。
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概要編集

漢字で書くと「掏摸」。スリを行う者の場合「掏児」。

別名「巾着切り」で読みは「きんちゃっきり」。

窃盗の一種ではあるが、犯人がすぐに証拠となる財布などを遺棄するケースが多い。そのために立件が非常に困難なので、逮捕はほぼ現行犯のみとされている非常に厄介な犯罪でもある。

金に困った人物がコミケの混雑に乗じて犯行に及んだ例も近年報道されている


電車バスなどの公共の乗り物の中でスリを専門としている人は「箱師」、街の人ごみの中でスリを専門としている人は「平場師」と呼ばれている。

また、「駆け出し」という単語の意味は初心者がスリ後すぐに逃げることからも来ていると思われる。


日本でのスリの歴史編集

山科言経が石川五右衛門のことを「正午天晴、盗人スリ十人また一人者釜にて煮らる」と日記に書き、「一、辻切すり盗賊之儀に付、諸拳公人侍は五人侍下人は十人組に連判を続、右悪逆不可仕旨請定可申事」と記事に書いてあるため、泥棒とスリは別種の模様。

当時「無類の者は通行人にすり寄って悪事を為し、物を取っていた」ことからスリという名がつき、貞享・元禄頃に巾着切りと名付けられて巧妙化した。


元禄・宝永頃、スリ名人の小兵衛が同心目付役の加賀山権兵衛にかわいがられた頃から、スリと同心の因縁が生まれた。

当時はたもと探し、腰銭外し、巾着切りが主で門前払いの処刑対象だったが、巾着切りの流行と共に突き当りで荒稼ぎするものに入れ墨や笞罪をしておくべきかを見極め、死刑にする判例が追加された。

その後、手口は巧妙さが増していきついに天保の大検挙がされ、高名なスリが入牢してしまう。しかしスリの飛梁跋扈は止まらなかったらしく、彼らが出牢するに能って盛んさは増し、1865年、浅草年の市に勇九郎の流れを汲む秀奴の手合いがスった炭俵1杯分の紙入れに石を付けて大きな川に投げ込んだ。集団行動且つ仲間のスリがスベった場合は町人を名乗る仲間が袋叩きにし、番屋に突き出す真似をし奪い返した。

単独のスリは手の指を全て折られるというすさまじい制裁を受けてしまった。


明治以前のスリ行為は町人全盛の大坂に多く、技量も上方がスリの本場だったが、明治維新ののち東京に人口が集中し、スリを恐れた武士の帯刀が禁じられ、富豪が増え、1887年頃京阪のスリがほとんど東京に集まった。警察が彼らを情報屋として扱うことが多々あったため、明治末期まで取締もゆるかったという。


皆さんも即売会や、その他の人ごみでは気をつけよう。


余談編集

マジシャンの人が舞台などで観客にスリをする「ピックポケットショー」なるものがある。


関連項目編集

盗み 万引き 痴漢

スリの銀次:スリってレベルじゃない例

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