ダリオ・アルジェント
だりおあるじぇんと
1940年9月7日、ローマ生まれ。
父は映画プロデューサーのサルヴァトーレ・アルジェント。母は写真家。娘に女優のフィオーレ・アルジェントとアーシア・アルジェントがいる。
1968年の映画『ウエスタン』では、監督のセルジオ・レオーネやベルナルド・ベルトルッチとともに原案を執筆。
1970年、『歓びの毒牙』で映画監督デビュー。
日本では1977年制作の『サスペリア』でホラー映画の監督として知られるようになったが、本国イタリアでは『サスペリアPART2/紅い深淵』をはじめとするジャーロ(サスペンス映画)の巨匠として知られており、本人はどちらかというとオカルト否定主義な模様。
映画監督として活躍する一方、プロデューサーとして他の監督を支援することも多く、ジョージ・A・ロメロの才能に目をつけ、共に映画『ゾンビ』を制作して脚光を浴びた。(だが続編の構想中に先輩格のルチオ・フルチが便乗映画『サンゲリア』を制作したためご破算になり、フルチとはしばらく確執ができたという。ただし元々フルチの晩年まで直接会ったことがなく、この件でも本人と紙面でしか対話していなかったとか)
出演女優のダリア・ニコロディとは長きにわたり交際しており、フィオーレは彼女のとの間にできた子どもである。サスぺリア等の脚本も二人で制作していたが、後に破局。これもあって当初3部作の予定だった続編は2作目の『インフェルノ』で一旦中止になったが、20数年後にようやく最終作『サスペリア・テルザ』が完成、久々にダリアとも仕事をすることになった。
なお、同作にも出演していたアーシア曰く「家ではいいパパだけど、映画の中では何度私もママもお姉ちゃんも殺されたことか…」と述べているように、作品の中でヒロインがこれでもかというほどひどい目に遭わされるため「美女苛めの監督」としてネタにされる。
※多くは脚本も担当
- 歓びの毒牙(1970年)
- わたしは目撃者(1971年)
- 4匹の蝿(1971年)
- ビッグ・ファイブ・ディ(1973年)
- サスペリアPART2/紅い深淵(1975年)
- サスペリア (1977年)
- インフェルノ (1980年)
- シャドー (1982年)
- フェノミナ(1985年)
- オペラ座/血の喝采(1987年)
- トラウマ/鮮血の叫び(1993年)
- ゾンビ Dawn of the Dead (1978年)
- デモンズ(1985年)※いくつもシリーズがあるが関連があるのは2までで、アルジェントが関わっているのは4まで