概要
ローマ帝国、ルネッサンスの流れから、数多くの芸術家を輩出してきたイタリアだけあって歴史大作や文学作品を元にした芸術作品が多い。
世界で初の映画スターの排出と女優のヌードシーンを披露したのもイタリアである。
アメリカにハリウッドがあるように、イタリア・ローマにはチネチッタという映画製作専門の都市があり、この都市には映画製作に必要なものすべて – 劇場、技術的な支援、若者向けの映画学校等 – が揃っていて、今日においても、多くの映画がチネチッタで撮影されている。
(アメリカ映画の「ベン・ハー」や日本映画の実写版「テルマエ・ロマエ」もここで撮影された)
ネオレオアリズモ
1930年代頃、イタリアを支配していたファシズム文化への抵抗として、リアリズムの方法で現実を描写する傾向が現れ始めた。1943年から1950年にかけて映画は、内戦による恐怖と破壊を経験した後で未来を築こうとあえいでいたイタリア社会に現れた問題や現実に題材をとっていた。
これをネオレアリズモという。
この分野で活躍した著名な監督としてロベルト・ロッセリーニ、フェデリコ・フェリーニ、ミケランジェロ・アントニオーニ、ルキノ・ヴィスコンティ等がいた。
海外でも似たような傾向としてフランス映画の詩的リアリズム、香港映画の香港ニューウェーブ、台湾映画の台湾ニューシネマ等がある。
国の発展に伴ってか、作品の内容はもっと分かりやすくて軽いタッチものになっていき、そういった作品はピンク・ネオリアリズモと呼ばれ、社会的なテーマが真面目に語られるよりユーモアを交えて描かれるイタリア式コメディと呼ばれる風潮もできるようになった。
マカロニウエスタン
…とまぁ様々な芸術的な内容の作品を作ってきたイタリアだが、一方で他の国で大ヒットした映画があると二匹目のドジョウを狙おうと便乗作品を次々と作ることも多かった。(これはイタリアに限らず、アメリカや昔の日本映画でも多かったけどね…)
西部劇もその一つで、最初の頃はそのまんまアメリカの西部劇と変わらない内容だった。
それを変えたのがセルジオ・レオーネ監督作品の「荒野の用心棒」である。正義感の無いアウトローによるアクションと残酷シーンを売り物としたこの作品の大ヒットにより、低迷しつつあった本家西部劇のみならず世界中の映画業界にも影響を与えることとなった。
ジャーロとイタリアンホラー
イタリア文学・映画には「ジャーロ」(「ジャッロ」ともいう)というジャンルがある。これはホラーや犯罪ものなどを含み、エロティシズムも加味されているジャンルである。「ジャーロ」とはイタリア語で「黄色」を意味し、ペーパーバック小説の表紙が黄色であったことからきている。
イタリアにおけるこのジャンルの作品は「主人公がいかにして事件に挑むか?」ではなく、「登場人物がいかにしてむごたらしく死んでいくか?」が売りで、ミステリーものとしては反則同然の作品も多く、探偵役があまり活躍しなかったりするが、これはイタリアの軍警察カラビニエリがあまり役に立たず、ギャグの対象にされがちなことから、イタリア人がこの手のジャンルを真面目に受け取らない傾向になるためと言われている。(イタリアには他に国家警察ポリッツィアがあるが、こちらはバイオレンス映画向け)
スタイリッシュなカメラワークと異常な音楽のアレンジが特徴的。
このジャンルから派生して「サスペリア」や「デモンズ」などをはじめとするイタリアンホラーが製作されるようになる。やはり残酷描写やカメラワーク、音楽に定評があるが、脚本を重視しないために脚本家から監督に対する不満もしばしばあったという。
とかくこのジャンルが便乗作品が多い傾向にあり、イタリアの映画監督ダリオ・アルジェントがアメリカの監督ジョージ・A・ロメロと「ゾンビ」を共同制作して大ヒットすると、アルジェントの先輩格に当たるルチオ・フルチが「サンゲリア」(原題「ゾンビ2」…)」を撮って、以降二匹目どころか三匹目四匹目を狙う業界人が多かった。
(「エクソシスト」がヒットするとエクソシストもどきを、「ジョーズ」がヒットすると鮫をタコに置き換えた物を作ったり…)
イタリアがカトリック教の御膝元故、神に仇なす物の存在を認めない、怪奇伝承が少ないこともあり、アメリカやイギリスのようにモンスターを独自に作り出したり新解釈を設けたりすることはなく、80年代後半までは様々なホラー映画が制作されるも、便乗映画ばかりで徐々に廃れていった。
一方でこのイタリアンホラーに影響を受けた海外の業界人も多く、ティム・バートンがイタリアでインタビューを受けた際に影響を受けた映画監督の一人としてイタリアホラー映画の父と言われるマリオ・バーヴァの名前を挙げたという。
しかしこのジャンルもイタリアではニッチな人向け扱いされがちで、ティム・バートンの返答に記者が「誰ですか?その人」と返されたという。