トーキング・ヘッズ
とーきんぐへっず
1970年代初めのニューヨーク・パンクのシーンに登場し、当初はフォーク・ロックのパロディ的な音楽性だったが、民族音楽や演劇などの要素を取り入れつつ人気バンドになっていった。
1974年、ロードアイランド州でデヴィッド・バーンが、美術大学でパフォーマンスと寸劇とロックの融合を試みていたファビュラス・モーテルズに出入りする。その後、ファビュラス・モーテルズにいたクリス・フランツとジ・アーティスティックを結成。更にファビュラス・モーテルズにいたティナ・ウェイマスが参加して、バンド名はトーキング・ヘッズとなった。
その後、バーンはニューヨークで友人の家に居候していたが、フランツとウェイマスもニューヨークに来たため本格的なバンド活動を開始した。
1975年、CBGBのサマーフェスティバルで初のライブを行い、テレヴィジョンやラモーンズ、ブロンディらとともにCBGBの常連となった。
1977年、ジェリー・ハリスンが加入。ラモーンズがいたサイアー・レコーズと契約。1st.アルバム『サイコ・キラー'77』を発表。『サイコ・キラー』はその後もライブの定番曲となった。
1978年、アルバム『モア・ソングス』を発表。シングルカットされた『テイク・ミー・トゥ・ザ・リバー』がヒットし、一般にも名を知られるようになった。
1979年、アルバム『フィア・オブ・ミュージック』を発表。『イ・ズィンブラ』ではアフロビートを取り入れている。
1980年、アルバム『リメイン・イン・ライト』を発表。ポリリズムとアフロビートを大々的に取り入れ、バンドの代表作となった。
1981年、ウェイマスとフランツがバンド内バンドとしてトム・トム・クラブを結成。ラップを取り入れた『おしゃべり魔女』と『悪魔のラヴ・ソング』がヒットした。バーンやハリスンもソロ活動を始める。
1982年、二枚組のライブ・アルバム『實況録音盤』を発表。
1983年、アルバム『スピーキング・イン・タングズ』を発表。シングルカットされた『バーニング・ダウン・ザ・ハウス』はバンド唯一のビルボード・トップ10ヒットを記録。アルバムのツアーは、『ストップ・メイキング・センス』(ジョナサン・デミ監督)としてドキュメンタリー映画となった。
1985年、アルバム『リトル・クリーチャーズ』を発表。カントリー・ミュージックを取り入れた内容となった。
1986年、アルバム『トゥルー・ストーリーズ』を発表。シングルカットされた『ワイルド・ワイルド・ライフ』がヒットした。バーンが監督した映画『トゥルー・ストーリーズ』が公開された。バーンにばかり注目が集まるため、バンド内の人間関係が悪化する。
1988年、最後のアルバムとなる『ネイキッド』を発表。バーンはワールドミュージック専門のレーベル『ルアカ・バップ』を設立。
1991年、映画『夢の涯てまでも』(ヴィム・ヴェンダース監督)のため『サックス・アンド・ヴァイオリンズ』をレコーディング。終了後に、バンドの解散が正式にアナウンスされた。