概要
1947年6月7日生まれ。
1965年にプロ野球選手となり、1968年にメジャーリーガーとなり、オールスターゲームに出場するなど大活躍。1983年に引退の意向を示したが、日本の近鉄バファローズから2年契約の約2億2000万円、住居の提供などの契約条件を提示され、引退を翻意して契約する。
しかし近鉄の提供した住宅は衛生面及び通勤の便ともに劣悪で、さらには本拠地の藤井寺球場及び準本拠地の日生球場は害虫害獣が発生する悪環境、おまけに球団が説明した日本のプロ野球は巨人軍の試合等のセ・リーグの華やかな試合であり、黒い霧事件の後遺症で観客が少ないパ・リーグの寂れ具合は明らかに話が違うものだった。
それでも元大物メジャーリーガーとしての実力を発揮していたが、劣悪な環境下と家族がホームシックにかかってしまったために報酬の全額返還と退団を球団に申し入れたが、退団会見は自身が環境に慣れる事が出来なかった事を謝罪するなど殊勝な態度で行っていた。
最初は退団理由を誇張されてわがままだと批判が多かったが、近鉄の劣悪な待遇が知られると一転してマネーに対して近鉄ファンですら同情する始末だった。そして同年にマネーを慕い近鉄に入団し好成績を残していたリチャード・デュランもマネーへの待遇に憤り同時に退団。マネーとデュランの両名は好成績を残していたために近鉄にとって痛手になった。しかし代替に入団したリチャード・デービスが相応以上の成績を残したために近鉄球団の体質改善に至るのには時間がかかることとなった。