MLBでは1979年12本塁打するなど400試合に出場している。1984年にドン・マネーの後を受けて近鉄バファローズに入団、二年目の1985年には打率.343、ホームラン40本、打点109点を記録するものの、すべて落合博満が上回り(落合は三冠王)、主要三部門ではタイトルは取れなかった。
同時代のパ・リーグにブーマーや落合がいた事や、セ・リーグではランディ・バースがいた事もあって、打撃成績の印象は劣るものの、その成績は日本在籍の5年で平均打率.330を越えるなど、むしろ歴代トップクラスなのだが、東尾修の死球に怒り乱闘事件を起こすなど、トラブルメーカーという印象は現役時代より強かった。後述のシーズン中に現役主力選手が起こした中では史上最悪の事件でデービスは球界を追われる事になる。
最終年は1988年となる。成績が大幅に下降したわけではないのに、この年が最後となったのはシーズン途中の5月に発覚した、前代未聞の「現役主力打者の大麻不法所持」事件であり、デービスは自宅で所持していた事を理由に逮捕された。不起訴処分にこそなったが、当然ながら解雇され、アメリカに帰国。子供の治療を巡って解雇されたバースとほぼ同じ時期だが、その最期については、今でも球団の対応が「球団史上最悪の一つ」と批判されがちなバースの例に比べ、デービスの場合、自業自得で同情の余地はなかった。
当時、近鉄は西武ライオンズと首位争いしていたものの、現役バリバリの主力打者の突然の解雇のダメージは大きく、代わりの選手を探す事になったが、そうそう代わりの選手など見つかるわけもなく、仕方なく中日ドラゴンズの2軍(当時、1軍の外国人枠は2人で、ゲーリー・レーシッチと郭源治がいた)にくすぶっていて、試合で三振ばかりしていた選手を獲得する。
その選手の名はラルフ・ブライアントであった(以降はブライアントの項目に続く)
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清原和博 当時の西武の主砲。現役中と引退後の違いはあるが、その末路まで同じ事に・・・。