概要
第一次世界大戦に際してドイツ軍がパリを砲撃するために開発した大砲。第二次世界大戦時に80cm列車砲が開発されるまで世界最大の巨砲だった。当時の皇帝ヴィルヘルム2世の名前を冠して「ヴィルヘルム砲」、「ヴィルヘルム皇帝砲」とも呼ばれる。
そのオーパーツじみたスペックから一部界隈で根強い人気を誇るが、その設計やスペックについての記録が散逸している謎多き兵器である。
開発経緯
時は第一次世界大戦の最中。ドイツ軍はフランスの首都パリを100km以上先の目標を砲撃するために、長大な射程を持つ大砲の開発を決意。その際、空気の薄い成層圏を通過すると(理論上は)空気摩擦が減り射程が伸びることに注目し、この巨大砲を開発した。
開発に際して成層圏まで砲弾を到達させるため超長砲身が必要となった。そこで砲身には既存の艦載砲で最大の38cm砲の内側に新開発の21cm砲身を取り付け、全長30mという長い砲身を備えることになった(ちなみに大和型戦艦の46cm砲身は20.7m)。強いて言うなら142口径21センチ砲。
打ち出された砲弾は成層圏まで上昇し、弾道飛行によって目標に到達する。ちなみに、一説ではこの砲弾が史上初の成層圏に到達した物体であるという。
この超長砲身と射撃方法により一説には射程は130kmに達した。先述の大和型の主砲である45口径46センチ砲の射程が約41kmなのを鑑みれば、(艦載砲と陸上砲という違いがあるとはいえ)どれだけ規格外な射程を持っているかわかるだろう。ちなみに後輩にあたる80cm列車砲の射程は約48kmである。
これは第二次大戦時の戦艦主砲をはじめ数十kmの射程を持つ長距離砲に共通する事だが、あまりの長射程によりコリオリ力(地球の自転により発生する慣性力)により着弾点がずれた。パリ砲に至っては着弾地点が目標より1キロ以上横にずれるため、発射に際しては軌道修正の計算が欠かせない。
運用は艦載砲が基になったため海軍が担当した。
「21cm砲」とされているものの無理矢理に長射程を追求した結果、砲身内部の摩耗が激しいので、これに合わせてわずかずつ直径を大きくした砲弾が何種類も用意され、射つ順序もきちんと定められていた。
戦績
1918年3月にパリから120km離れたクシーの森に配備され総計300発以上がパリに打ち込まれたが、8月に連合国軍の反攻が始まったため撤退前に破壊された。そのため21世紀になっても不明な点が多い。
ちなみにドイツとフランスが停戦協定を結んだのは1918年11月。あまりにも短い生涯であった。
類似品
日露戦争で日本陸軍が使用した28cm榴弾砲に触発されて開発した42cm榴弾砲。
第一次大戦直前に完成するまで製作に10年を要したが、1914年のベルギー・リエージュの戦いを皮切りに堡塁の破壊に威力を振るった。
ディッケ・ベルタと同じく対要塞戦用に開発された重砲。
第一次大戦では参加しなかったが、ヴェルサイユ条約下にも生き残り、第二次世界大戦でセヴァストポリ攻略戦などに使用された。
関連タグ
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