概要
ヴィローシャナの名を持つアスラはインド神話の各種文献に複数登場する。
『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』のヴィローシャナはアスラの代表として、デーヴァの代表インドラと共に、認識することで一切の世界を得るとされる“アートマン”を求めてプラジャーパティの下で修業を行っている。
三十二年に及ぶ修行の末、二人はプラジャーパティに着飾って水盤に身を映せと言われ、
「水(鏡)に映る姿こそ不死であり、無畏であるアートマンであり、ブラフマンである。」
と教えられる。
これを聞いたヴィローシャナは「現世においてアートマン(目に映るもの、肉体)を悦ばせそれに奉仕してこそ、現世と来世両方を克ち得る」と仲間に説いて秘儀とした。
しかしこの教えは、肉体だけを大切にする唯物でしかなく、欠損、消滅すれば鏡中のアートマンも失われる不完全なものであり、プラジャーパティは「神々にせよ、悪魔どもにせよこのようなことを秘儀として守る者は必ず滅びよう」と評している。
インドラは上記のことに気付き、プラジャーパティの下に戻って更に六十九年の修行をして、「睡眠によって得られる夢」「夢すら見ない熟睡」という答えを与えられるたびにその欠点を看破し、最終的に「意識」こそがアートマンであることを知る。
『バーガヴァタ・プラーナ』に登場する矮人ヴァーマナ(ヴィシュヌ)に敗れたバリの父親は、ヴィローシャナというアスラ王とされる。
このヴィローシャナは、父プラフラーダ(ヒラニヤカシプの息子)譲りの性格で祭式を重んじ、僧侶達に敬愛を払って国を治めたという名君であったともされる。
インドラ率いる神々の軍と世界の覇権を巡って戦い、ヴィローシャナは死亡(戦死)した。
仏教経典『サンユッタ・ニカーヤ』でも「アスラとしてのヴィローシャナ」が登場するが、『ウパニシャッド』同様(こちらでは仏教側の神である)インドラに負ける側である。
毘盧遮那仏との関係
ヴィローチャナ(ヴィローシャナ)の音感がヴァイローチャナ(vairocana)、毘盧遮那仏と似ており、そこから密教の大日如来と同一視するものがある。
だが、ヴァイローチャナは「ヴィローチャナの息子(バリ)」と言う意味で、ヴィローチャナとは区別された単語であるとされ、あまり有力な説ではない。
大日如来、毘盧遮那仏の出自はアフラ・マズダともされ、ヴァイローチャナ、ヴィローチャナとともに大きな影響を与えている。
密教は修めるにあたって顕教経典を習得する事を原則とするが『サンユッタ・ニカーヤ』のような阿含経も顕教の一部である。
女神転生シリーズのヴィローシャナ
初出作品は「真・女神転生Ⅱ」。“魔神”種族の高位悪魔である。
真Ⅱでは魔界のケセド寺院で、自身に救いを求め祈る者は正邪やロウ・カオスの様な思想の違いの別なく救うという大乗仏教的な思想を持ち、アスラとしてより大日如来の性格が強い(実際「真・女神転生Ⅱ」では大日如来を名乗っている)。
女神転生シリーズにおけるヴィローシャナの特筆すべき点は、天魔アスラおうと表裏一体の存在として扱われていることである。
特に「デビルサマナー葛葉ライドウ対アバドン王」では、国家を鎮護するべき大日如来(ヴィローシャナ)が、“ある時空の闘い”に呼応してアスラおうの姿をとり、アカラナ回廊の時空の狭間にて葛葉ライドウと激突する。
ここではその前身が光明神アフラマズダであったこと、“ある時空の闘い”で勝利を得ることでその姿に返り咲くことができることをアスラおう自身が語っている。