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あらすじ編集

1972年の大晦日、北海道は札幌の時計台横丁にある蕎麦屋「北海亭」に、閉店間際になって貧相な三人の母子が現れ、当時150円のかけそばを一杯だけ注文する所から話は始まる。


三人で一杯を分け合って食べる母子を、最初は訝しんだ店主夫婦であったが、不憫に思いこっそり通常より多めのそばを母子に提供していた。次の年はまた一杯、その次の年は二杯を頼み、美味しそうに食べて帰る姿に、次第に夫婦は母子を愛おしく思うようになっていった。

ある年に母子が訪れた際、店主は三人の会話を耳に挟んだ。

夫を失ってから、母子三人は苦しい生活を送っていたらしく、子供たちは新聞配達や家事の手伝いで母を助け、必死に生きていた。そして、大晦日に食べる一杯のかけそばが年に一回の贅沢だったという。


その話を聞いた次の年から、大晦日に母子は現れなくなっていた。しかし、夫婦は三人を待ち続け、大晦日には初めて彼らが座った席を空け続けた。

十数年後、大晦日の夜にあの母子が現れる。立派に成長した子供たちは、あのあと札幌を離れ母の地元である滋賀に移り、今では兄は医者、弟は銀行員として就職したことを明かした。

店主に感謝を述べた親子は、ようやく三杯のかけそばを注文したのであった。


概要編集

この話は作者の栗良平が口演で全国各地を行脚していた話が元となっている。1988年に出版された『栗良平作品集2』に収録。

1992年には西河克己監督で映画化されている。


不遇な親子を想う蕎麦屋の人情話は口コミで広まっていき、1989年に入ってからは共同通信やFM東京などで取り上げられ全国的に話題になった。

「泣ける美談」としてブームとなり、数々のテレビ番組や新聞記事、雑誌で取り上げられた。

ところが、実話を元にした美談の触れ込みがあったにもかかわらず、物語の辻褄が合わない等で創作疑惑が噴出することとなる。


なお、いきさつや動機は不明だが1989年2月に衆議院予算委員会で大久保直彦・公明党書記長(当時)の質問時に本作が引用されたこともあった。


懐疑論とブーム終焉編集

創作疑惑だとして以下の指摘があり、少しずつ読者・視聴者からも疑問の声が上がるようになった。


  • 閉店間際であれば、その日の売れ残りがあるのではないか、店主が融通をきかせて出すことができたのではないか(詳しくは後述)
  • 1972年であればインスタント麺や普通の食料品店で買える茹で蕎麦が普及していたはず
  • また、それらは150円のかけそばよりも安く購入できた可能性が高い
  • 冬の札幌で夜遅くに子供を連れて来店するのは流石に不憫ではないか

このブームが収束する一つのきっかけが、番組のフリートークの中でタモリが「1972年当時、150円もあればカップそばが三つ買えたはず」「涙のファシズム」とコメントしたことである。

また、これ以前にも上岡龍太郎によって「閉店間際なら売れ残った麺がある。店主は事情を察したなら、3人分出すべきだった」と指摘されている。


ただし1つ目に関して、作中では「サービスとして3杯分出してあげたら」と提案した妻に対し、店主が「それでは親子が気を遣ってしまうだろうからダメだ」と返すなど、まったく説明されていないというわけではない。

また、店主も次の年からはこっそり多めに出したり、値上げをした年にも、親子が来るのに合わせて150円のメニュー札に切り替えるなどの描写がある。


その後の週刊誌により、作者である栗良平の経歴詐称に加え、私生活で起こしたとされる寸借詐欺疑惑が報じられてから本作は信用を失い、決定的な終焉を迎えてしまった。

栗は懲りずに詐欺まがいの行為を伴いつつ日本各地を転々とし、1998年には滋賀県のある寺で住職の娘と親しくなり乗っ取りをかけようとした(総本山からの離脱にあたり裁判沙汰になっている)事件が報じられて以降消息不明となっている。


映画版編集

すでにブームが収束した時期に公開。原作における辻褄の合わない部分を物語として無理のない形に独自の設定が加えられ、オリジナルストーリーとして製作されている。


主演の豪華なキャスティングで話題を呼んだ。その他の脇役・端役として奥村公延池波志乃柳沢慎吾三村マサカズ国生さゆり可愛かずみ等も起用されている。


店主夫婦:渡瀬恒彦 / 市毛良枝

母親:泉ピン子

息子:鶴見辰吾

本編ナレーション:市原悦子


このほか2010年には韓国で「一杯のうどん」として映画化されている。


台湾の実話編集

2006年には台湾で似た実話があると報じられた。

母親がガンで入院中の貧しい子供たち(5人兄弟)に、看護婦がワンタン麺を差し入れたところ、子供たちのうち3人が麺だけを食べ「お母さんにワンタンを食べて元気になってほしい」と残した、というエピソードを件の看護師が語ったところ、大きな話題となり、台湾中から寄付が集まった。


なお、母親は闘病の末子供を残し亡くなり、当時の総統であった陳水扁が哀悼のコメントを発表している。


関連項目編集

童話 美談 蕎麦屋 大晦日

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