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概要編集

南北朝時代に活躍した武将、『逃げ上手の若君』にも登場する。


観修寺道宏を父、上杉頼重の娘・加賀局を母に生まれる。後に養父となる上杉憲房、母・加賀局、足利尊氏直義兄弟の母・上杉清子は兄妹であり、憲房の長男・憲顕は従兄弟であり、義兄弟でもある。


鎌倉幕府滅亡後、関東庇番六番の一員として足利直義の指揮下に入る。

以後、義兄弟の上杉憲顕、畠山直宗らと直義派として活躍、高師直師泰兄弟と対立を深め、重能は直宗らと語らって師直排斥を図るが失敗、

正平4年/貞和5年(1349年)、怒った師直・師泰兄弟が尊氏邸に逃亡した直義を5千の兵で囲んだことにより、直義は出家・失脚に追い込まれたうえ、事件の引き金となった上杉重能、畠山直宗は流罪のうえ在所で師直の刺客に襲われ殺害されてしまった。


なお、このころ上杉憲顕は鎌倉において師直派の高師冬(師直の猶子)と関東公方・足利基氏(尊氏の四男)を補佐していたが、直義が失脚し重能が殺害されたことにより師冬との対立が激化、正平6年/観応2年(1351年]、師冬を攻め滅ぼしたのち、直義に敗れた師直・師泰兄弟ら高一族も上杉能憲(憲顕の子)に殺害されてしまった。

逃げ上手』に登場する上杉重能編集

憲顕によく似ており黒い目と長く尖った耳をしているが、

憲顕とちがってマッドサイエンティストではなく常識的な性格をしており、憲顕の怪しげな改造実験によりラリっている子供を保護している。

関連タグ編集

太平記 南北朝時代(日本) 足利直義

逃げ上手の若君 上杉憲顕(逃げ上手の若君)

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