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亡国のイージス(論文)

ぼうこくのいーじすのろんぶん

福井晴敏著「亡国のイージス」内で出てくるある人物の息子が執筆した論文。本作のタイトルにもなっている。
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概要

亡国のイージスの作中において執筆された論文。正式名は「亡国の楯(イージス)」

ミサイル護衛艦「いそかぜ」艦長(映画版では副長)の宮津弘隆の息子で、当時防衛大生であった宮津隆史が、「国防とは何か」「日本人イデオロギーのあり方とは何か」について悩み、防衛大学卒業近くに執筆してインターネット上で公開した。


全文(亡国のイージスより抜粋)


「亡国の盾」



自分は、国費で勉学を賄われている防大生のひとりである。


一年後には任官され、国防に携わることでその費用をお返ししなければならない者であるが、三年学んでなお、『国を守る』ということの本質がわからない愚か者である。


※ ※ ※


在日米軍基地の補完を念頭に装備の拡充を続けてきた自衛隊は、西側第二を誇る対潜掃海能力・上陸阻止能力を備えるまでになった。


その一方、洋上防空や陣地構築能力、打撃力は希薄で、有事法制さえ整わない自衛隊は、依然、一国家の軍事力としては歪な存在として残る。


・・・・・・未曾有の発展を遂げた日本は、理想も責任能力も無いまま世界進出を果たした様を指して「エコノミック・アニマル」と誹謗されるようになった。


冷戦後も安保の枠組み維持に汲々とし、未だに有事法制も整わないまま、歪な装備の更新を続ける自衛隊も、同様の危機を孕んでいるとは言えまいか。


上意下達の徹底は強固なチームワークと経営体質を企業に与えたが、上に対して口を閉ざすのを当たり前にしすぎた結果は、参政意欲の無い、主権意識の希薄な国民たちを生み出すことにもなった。


そうして・・・・・・個人としては考えることも責任を取ることも出来なくなった国民が、経済という制御の難しい化け物と場当たり主義でつきあい続けた結果が、バブルの災厄を招来した。


バブル崩壊が経済システムを袋小路に追い込み、「辺野古ディストラクション」が安全保障の存立を揺るがせた今こそ、日本は独自の姿勢を表明すべきだった。


だが結局元の鞘に収まってしまうのも、誰一人として「日本とは何か」「何を優先して、何を誇るのか」について、世界に通用する明確なロジックを持っていなかったからだ。


冷戦終結によって、「反共の不沈空母」という方向性が失われた現在、国防問題もまた岐路に立たされている。


絶えず仮想脅威を創出してゆかなければならない日米安保の維持に固執することは、梶本政権が提唱する日本型システムの復活と同じ、これまでの無責任体質を継続する結果になりかねない。


辺野古ディストラクション以来始まった一連の沖縄問題への対応、アメリカの対応を見越した恣意的な海上戦力整備は、明らかにこれまでの過ちを継続、強化させるだけの愚行であると断言できる。


※ ※ ※


自衛隊は従来の在日米軍とのリンクがあって初めて能力を発揮するというあり方をやめ、削るべきは削り、増やすべきは増やして、日本の地勢と国力に合わせて完結した戦力を整備してゆくのが正しいやり方ではないか。


日米安保はあくまで国際貢献の一環であることを明示して、片務ではない、両国の相互利益に基づいて運営されていることを互いに自覚しあうこと。


それには、何よりもまず日本が自らの所信を表明し、ひとつの国家として一貫した主張とカラーを打ち出してゆかなければならない。


今までそれを怠ってきた結果が、未だに大日本帝国の復活を恐れるアジアの愚にもつかない誤解と誹謗を招き、誰からも、自分自身からも信用されないし、尊敬もされない体質を作り続けてきたのではないだろうか。


 重要なのは、国民一人一人が自分で考え、行動し、その結果については責任を持つこと。


それを「潔い」とする価値観を、社会全体に敷衍させ、集団のカラーとして打ち出していった時、日本人は初めて己のありようを世界に示し得るのではないだろうか。


保身にばかり長けた政治家ではなく、一人の人間として自らを誇れる人物にこの国の舵を取ってもらいたいと願うのは、過分な望みなのだろうか。


 そうした人たちがその存在をもって範を垂れ、すべての人に美徳を示すことは夢なのだろうか。


誰も責任を取らない平和論や、理想論に基づいた合理的経済理論では現在の閉塞を打ち破ることはできない。


 ギリシャ神話に登場する、どんな攻撃もはね返す楯。それがイージスの語源だ。


しかし現状では、イージス艦を始めとする自衛隊装備は防御する国家を失ってしまっている。


 亡国の楯だ。


それは国民も、我々自身も望むものではない。必要なのは国防の楯であり、守るべき国の形そのものであるはずだ。


※ ※ ※


これから自衛官の職を拝命した時、いつかはこの思いが消えてなくなるかもしれないと想像するのは辛い。


訓練、術科習得、クルーの勤務評定に追われ、日々が仕事で塗り込められていった時、何も考えずにいきてゆけそうな自分がいることが悲しい。


誰もがしていることであるし、そうした方が自分自身、楽なのだろうと思いはしても、やはり信念は捨てたくない。


 自分の国籍と職業に胸を張れる人間でありたい。


 「国を守る」ことの本当の意味を考え続けたい。


 改善のための努力を怠らず、どんな結果が待ち受けていても正面から受け止めて、姿勢よく生きていける人間でありたい。


ちっぽけではあるが、それがこの拙文を実名で著した者の矜持である。


自衛官としてはるか先を歩くも、この思いを理解してくれるものと・・・・・・


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要約すると


  • 「今の日本人は自らの頭で考えることを放棄し、自らの行動に責任を持てなくなっている」
  • 「国として本来あるべき姿とは、国民一人一人が己のありようを確立させ、日本という国に対し誇りを持ち、本当の意味での愛国心をもつことである」
  • 「だが今の日本では政治家は保身に走っており、国民は忙しさにかまけて思考を放棄し、守るべき国の形を失っている」
  • 「守るべき国を失くしている自衛隊やイージス艦は、もはや形骸と化し、イージス=楯としての機能を失っている」
  • 「日本人一人一人が自らの行動に責任を持つことで、初めて日本という国は確立され、自衛隊は国防の要として機能するはずである」

ということであろうか。


この論文はDAIS北朝鮮工作員であるホ・ヨンファに目をつけられ、DAISはこの論文の著者である宮津隆史を危険思想の持ち主と判断し、交通事故に見せかけ殺害ホ・ヨンファの方は、宮津隆史の葬式に赴き、父親の宮津弘隆に接触。息子の死の真相を話す。これが後のいそかぜ乗っ取り事件の始まりであった。

 


 この論文は、ある意味「亡国のイージス」という物語の中核であり、全ての始まりともいえる。


関連タグ

亡国のイージス 宮津弘隆 福井晴敏

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