概要
1983年(昭和58年)に登場した京阪電車の通勤型電車。8両編成14列車、計112両が在籍し、2021年までは京阪電車の最大両数を誇っていたが、13000系の増備によってその座を譲った。
投入の経緯
1983年の架線電圧1,500V昇圧に際して、対応できない旧系列車両を置き換える目的で導入され、省エネルギー、快適性の向上も目指して設計された。
当初は600Vで使用するために4両編成5列車20両が支線でも運用されていた。同年12月4日の1,500V昇圧と同時に4両編成5列車は中間車3両を組み込んで7両化されたほか、新規に製造された7両編成6列車も同時に運用を開始した。
1986年(昭和61年)10月、三条~東福寺間の地下化工事の試運転車両搬入に伴う車両不足に対応して、6012編成が4両で導入された。この編成より、ブレーキが回生ブレーキ併用全電気指令式ブレーキから回生ブレーキ優先全電気指令式ブレーキに変更された。
1987年(昭和62年)5月24日の三条~東福寺間の地下化工事完成に伴う同年6月1日のダイヤ改正から7両編成3列車が8両化された。
1989年に製造された6014編成は京都寄り3両がVVVFインバータ制御方式の長期試験車となり、その結果同年に製造を開始した7000系にも反映された。
1993年には、先ほど述べた6014編成のVVVFインバータ制御試験車3両が、車両番号変更のうえ7000系に編入された。その代替に6000系として3両が7000系の車体をベースに6000系の機器を搭載した形で製造されて、編成内の制御方式が統一された。そのため、6014編成はフロントマスクの異端を誇っている。
車体・機器
従来の車両設計にとらわれず、次世代の車両を目指して製造された。アルミニウム合金の大型押出型材を初めて採用し、骨組みが不要となったほか、一段下降式のユニット窓で側面がすっきりとまとまっている。車端側・扉間ともに2枚ずつとした窓配置の関係で、従来の3扉車に比べて車端部が長く、扉間が逆にやや短くなっている。正面は他編成との併結が不要となったため、非貫通構造とされ、前面窓を2分割するサイズの非常用扉を取り付けられている。また、前照灯も窓ガラスの内側、行先表示器と列車種別表示器の一角に配備するデザインとなっている。
現在の京阪電鉄車両の基本寸法である連結面間隔500mm、車体長18,200mm、また一般車において、停車駅にて扉が開く際のみに行われる自動案内放送装置および戸閉め予告ブザー音は、本系列が同社で初めて採用した。
制御装置は2600系以来実績を重ねてきた直流複巻電動機+界磁位相制御で、最高時速は110km/h(設計上は120km/h)、起動加速度は2.5km/h/sである。
リニューアル工事
2013年(平成25年)度より、9年かけて当系列全列車のリニューアル工事が行われた。内容は、内装の更新、車内案内表示装置(LCD式)、車いすスペースの設置、制御機器の改修となっている。第1陣として、2014年9月5日に6011編成がリニューアルされ、営業運転を開始した。2023年6月までに全14編成のリニューアル工事が完了した。
外観
機器類
内装
- 13000系に準じた内装に更新(戸閉め予告ブザーを7200系以降のものに更新のうえで、13000系2次車以降と同じドアチャイムを搭載)。
- 車内灯はLEDに交換されているが、従来どおりカバーが付いている。
- 化粧板については天井部分は交換されていない。
- 3000系(2代)および8000系と同じ自動放送装置の設置。
- 現在は急行以下でも使用されているが、2017年度までは快速特急・特急・快速急行・通勤快急の種別で運用されるときに限り、自動放送となっていた。
- なお、未更新車にも一部座席表皮の張り替えや前照灯のLED化が施されていた。
性能
編成 | 8両編成14列車 計112両 |
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営業最高速度 | 110km/h |
設計最高速度 | 120km/h |
起動加速度 | 2.5km/h/s |
減速度 | 4.0km/h/s(常用最大)・4.5km/h/s(非常) |
全長 | 18,700mm |
全幅 | 2,720mm |
全高 | パンタ付車4,185mm・その他車両4,086mm |
車体材質 | アルミニウム合金 |
軌間 | 1,435mm |
電気方式 | 直流1,500V(架空電車線方式) |
主電動機 | 直流複巻電動機(出力155kw) |
駆動装置 | 中空軸たわみ板継手平行カルダン駆動 |
歯車比 | 79:14=5.64 |
制御装置 | 界磁位相制御方式 |
台車 |
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制動方式 |
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保安装置 | 京阪形ATS、K-ATS |
製造メーカー | 川崎重工業 |
受賞
外観、技術、内装等の面において従来の京阪通勤車の概念を覆したことで、鉄道関係者から「もはや、車体色だけが京阪電車であることをかろうじて物語っている」とさえ言われたほどのインパクトを与えた。1984年(昭和59年)に鉄道友の会より京阪車両史上初のローレル賞を受賞した。当時、車両担当の役員だった宮下稔氏は、設計に際して「3000系特急車の時には果たせなかったので、今度の6000系新造車ではぜひブルーリボン賞か、ローレル賞を取りたい」と当時の社長の青木精太郎氏に意欲を示し、それを実現させることになった。
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