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伊吹(重巡洋艦)

いぶき

日本海軍が建造していた重巡洋艦。後に空母へと艦種が変更されたが、進捗率80%で建造が中止され未成に終わった。

概要

太平洋戦争に突入することがほぼ決まりかけていた1941年末に立てられた予算案に、当然出るであろう重巡洋艦の消耗に対応するための新しい艦の建造予算が計上されていた。その時点での最新型重巡は利根型だったが、こちらは急造する必要があったため、その前級である改最上型=鈴谷型をベースとした設計が行われた。このため、この型は「改鈴谷型」と呼ばれている。なお、最上型のように軍縮条約逃れのために主砲を15cm砲にしておく、という必要も無かった(当時既に条約から抜けていた)ため、当初から20cm主砲を備えた"重巡洋艦"である。
この改鈴谷型重巡は2隻の建造が予定され、それぞれ艦名も日本の重巡の命名基準である山の名前から取って1番艦「伊吹」2番艦「鞍馬」と決まっていた(2番艦の方は諸説ある)。

しかし、戦局の変化、特にミッドウェー海戦で一航戦・二航戦を一気に失ったことが日本海軍を大きく狼狽させた。起工直前だった2番艦は建造中止(代わりに2番艦を建造する予定だった三菱長崎造船所では雲龍型空母天城〉を建造することになった)、そして、呉海軍工廠で既にそこそこまで出来ていた1番艦も「とりあえず進水させて場所を空けろ」というわけで1943年5月に進水し、〈伊吹〉と命名された。なお、進水する前に"一等巡洋艦"として登録されていたので、重巡洋艦と呼ぶのは間違いではない。
と言っても、進水した後は工事を中止することは既に決まってしまっていたため、この後この〈伊吹〉をどうするかについては、高速給油艦プラン、高速輸送艦プラン、水上機母艦プランなど議論百出するもなかなかまとまらなかった。
その行く末がようやく決まったのは、アメリカの動向が影響した。というのも、航空兵力の有効さに気付いたアメリカが本格的に空母建造に力を入れ始め、隔月刊正規空母ことエセックス級空母や週刊空母ことカサブランカ級護衛空母と共に、週刊改造空母ことインディペンデンス級空母を送り出してきたからだ。このインディペンデンス級というのは、例によって大量生産していたクリーブランド級軽巡洋艦の艦体を流用した改装空母で、これらに対抗するため、放置されていた〈伊吹〉の空母への改装が決まった。

といっても、改装が決まったのは1943年8月であり、実際に〈伊吹〉を佐世保に回航してから工事に取りかかったのは11月になってからである。それまでの間に〈伊吹〉にはそこそこ重巡としての艤装もされていたため、改装工事はまず主砲塔の撤去から始めなければならない始末であった。おまけに佐世保工廠は他の艦の建造もしていた(当時は阿賀野型の〈矢矧〉〈酒匂〉を建造中)うえに、太平洋戦線で傷ついた艦艇がひっきりなしに修理にやってくる状態で、とてもじゃないが空母改造なんてやっている余裕はなかった。

そうこうしているうちに、さらに戦局は進み、マリアナ沖航空戦レイテ沖海戦を経て日本の航空戦力は壊滅してしまった。残っている雲龍型空母も〈雲龍〉が、陸軍の兵隊さんや特攻兵器「桜花」を運ぶ事実上の輸送艦として使われた挙げ句撃沈され、〈天城〉と〈葛城〉はもはや積む飛行機すらなく呉でお飾り(そして米爆撃機のいい標的)というような状況になっていた。いまさら新しい空母造ってもなぁ、という悲しい状況に、改装工事は1945年3月に中止され、〈伊吹〉はその後岸壁に係留されたまま終戦を迎える。

1946年11月から解体開始、翌1947年8月に解体完了し、〈伊吹〉は相手に砲を撃つことも航空機を発艦させることもなく、言うなれば艦として産まれることなく、その生涯を終えた。

関連タグ

大日本帝国海軍 重巡洋艦 空母 伊吹型
伊吹(アズールレーン):本艦をモチーフとした「アズールレーン」のキャラクター。

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