「だまりゃ!」
「その方ら麿を何と心得る!畏れ多くも帝より三位の位を賜わり中納言まで務めたこの麿に指一本でも触れたらどの様な事になるのか、分かっておるのか!麿は徳川の家来ではない、帝の臣じゃ!その麿に向かって狼藉を働けば朝敵じゃ!謀反人、逆賊と呼ばれても言い訳は出来まいな!そればかりではない、畏れ多くも広幡右大臣様の御名を騙り麿を呼び出すとはなんたることじゃ!この事直ちに帝に申し上げ、公儀に掛け合うてくれる故、左様心得られよ!」
演:蜷川幸雄
概要
TBSドラマ『水戸黄門』第10部第1話「おあずけ喰った結婚式 -水戸・江戸-」及び、第15話「京の都の悪退治 -京-」(どちらも1979年放送)に登場する悪役公家。
『正体を現した水戸光圀の前に平伏しない悪役』の一人、なのだが後の第18部によく似た一条公麿三位中納言が登場し、ネット上でもかなり混同されている。一条三位と称された画像が実は六条三位のものだった、という例も珍しくは無い。
『水戸黄門』シリーズには他にも似たような麿キャラが登場し、大体は官位や朝廷における地位を主張して「印籠に控えない」人の代表格として悪役のバリエーションに幅を持たせている(勿論、全ての麿キャラ(公家)が悪役であるわけではなく、悪役以外の麿キャラは大凡光圀と友好的且つ協力的である)。
が、中でもこの六条三位は、第18部に登場する麿キャラの代表格の一条三位と決め台詞「だまりゃ!」から始まる台詞の部分が酷似していたり、恰好もほぼ同じだったりする他、麿キャラの元祖として一条に次ぐ人気を占めている。そして、光圀の協力者である上位公家 菊亭左大臣様に断罪される。
光圀とのやり取りに関する動向は一条公麿三位中納言の記事にほぼ同じであるが、六条三位の場合は、黒幕として背後にさらに上位公家の広幡右大臣がおり、物語開始前に広幡右大臣と組んで菊亭左大臣を流言により朝廷から追い払っていた他、上述したとおり、京での直接対決の前に第10部第1話にも登場している点、そして何より該当シーズンにおいて光圀が旅に出るきっかけを作った人物という大きな差異があり、一条三位よりも光圀との因縁がより強い人物として描かれているのが特徴である。
劇中での動向
第1話
朝廷から江戸幕府への勅使として江戸に赴くも、江戸では自身の威光を傘に来て、取り巻きである上家の大名とつるんで、接待役の若藩主(演じたのは後年格さんを演じることとなる伊吹吾郎氏)をイビったり、半ば騙す形で人身御供に上げた若い娘を手籠めにしようとする(そればかりか、その娘に抵抗された事に憤慨して追手を差し向け、最終的に娘を亡き者にしてしまった)などの勝手三昧を繰り返していたが、最終的に光圀の手でやり込められて、逃げるように京へ戻ったが、その道中の輿の中で、光圀への逆恨みの念を募らせていた。
光圀もまた、このまま六条三位を放っていたら何をしでかすかわからず、また、この一件をきっかけに幕府と朝廷の間に亀裂が走ることになりかねないと危惧した将軍・綱吉公からの命を受けた光圀は後始末の為に六条三位を追って京へと旅立つが、これが第10部の旅の幕開けとなった。
第10話
江戸で光圀にやり込められ、京へと戻った六条三位だが、上述したとおり、自分の素行を顧みることはまるでないばかりか、光圀を逆恨みし、その仕返しも兼ねて京の街で光圀に関して「副将軍という立場を傘に来て、乱暴者の手下や得体のしれない忍の者(ついでに頭の悪い忍の子分)を使って乱暴狼藉を働くゴロツキの親玉」と江戸での出来事を自身の都合の良い内容に改ざんした悪い噂を流し、更に自身の妹を嫁がせる事で太いパイプを築いた上位公家 広幡右大臣に光圀の評判失墜の為の朝廷内への流言を願い出るなどの綱吉公が懸念したとおり、幕府と朝廷の仲を引き裂かんとする裏工作に暗躍する一方、その阿漕な振る舞いや、たちの悪い女好きな面も相変わらずで、京の商人相手に広幡右大臣への取り次ぎを餌に賄賂を持ちかけるも、金を受け取るとそのまま約束を反故にし、金だけ持ち逃げするという詐欺行為を働いていた。さらに特に気に入った娘がいる商人には賄賂の金を造る為の共謀している悪徳商人に借金をさせ、その証文をちらつかせて、娘を人身御供に上げさせようとしていた。
クライマックスの山場である大殺陣が起きる前に光圀の一計に嵌められて個人的に呼び出された上で、自身の悪事を糾弾された際に上述の台詞を喚いて抵抗するも、菊亭左大臣に断罪されるやり取りが交わされた(一条三位は大殺陣の後の印籠を出す場面の最中に反論と、菊亭左大臣の断罪がある)。
その後に手下的存在である京都町奉行所の悪徳役人達が現れ、大殺陣が始まると、騒ぎに乗じて逃げ出そうとするも弥七に阻まれ、最後は光圀の印籠を前にひれ伏した悪徳役人や共謀していた悪徳商人共々取り押さえられ、その後は上述通り菊亭左大臣の手で朝廷に突き出される事となった。
尚、黒幕だった広幡右大臣も後日、六条三位の連座で罪を暴かれ、出家した上で朝廷の地位を退いたことが光圀の口から明らかになり、広幡右大臣、六条三位によって追われていた菊亭左大臣が復職したことで朝廷内に巣食っていた不穏な空気も一掃され、光國の旅の目的は無事に果たされたのだった。
ちなみに
演じた蜷川幸雄は、長年の演出家としての活動が認められ生前に文化勲章を叙勲されたことで没時追贈の形で従三位に列した。文化勲章叙勲者が従三位に列されるのは慣例として定着しており、他にも森繁久彌や黒澤明などがこのプロトコル通り叙位されている。
台詞から抜粋するに六条三位は正三位ではなく従三位に類すると考えられており、まさかの演者とキャラクターの官位が一致するという結果になった。
また、この時の蜷川の演技は後日旧知の女優にダメ出しされ、演出家として演者に厳しいダメ出しを行う蜷川への痛烈なしっぺ返しとなった。特に「あんな演技では貴方のダメ出しも聞けなくなる」と言われたこともあってか、以降ほぼ演出家一本に活動を絞っている(その後も数回のみ出演しているが、これより以前とは遥かに活動量が異なっている)など、演者本人の生き方にまで影響を与えた役となった。
史実における六条家は、「近衛の将から参議・中納言を経て大納言に至る」羽林家の家格を有しており、同家の極官も権大納言であった。
つまり摂家の格を持つ一条家より遥かに史実内容に沿った無理の無いポジションであったのが…無理が無さすぎると逆に実際の関係者からクレームがつく可能性がある(悪徳公家・六条公麿はあくまで架空の人物で、実際の六条家の当主は代々の名前の通字に「有」の字を使用する)。
そうした問題があったのかは不明であるが、後に同様のポジションを持つ一条三位は「一条姓」を名乗ったのではないか…と推察される。