史上最強のクイズ王決定戦(TBS)
しじょうさいきょうのくいずおうけっていせん
1989年から1995年にかけて、年2回放送された大型クイズ。
第7回までは「ギミア・ぶれいく」の企画として放送され、第8回以降は「THEプレゼンター」の企画として放送された。
その題名の通り、正攻法のクイズ形式で王座を決める番組。
数あるクイズ番組のトップに君臨する番組と自負しており、この番組の前には「日本一のクイズ王」を毎年決めていた「アメリカ横断ウルトラクイズ」さえも赤子の手を捻るに等しかった。
形式もオーソドックスで、3択クイズ、早押しクイズ、問題数限定の早押しとカプセルクイズのセットで構成された決勝と一貫していた。
このクイズのプレゼンターは、石坂浩二となっており、彼は大会委員長(ウルトラクイズではキー局のお偉い方がその役目を担ってるのだが…)を勤めたり、自ら解答者として本選に参加したりしていた。
第1回では石坂を含む招待選手8名でクイズ王の座を競った。
第2回からは予選会が行われ、そこから選出された6人と石坂で本選に臨み、そこから勝ち抜いた1人が決勝で前回の優勝者と闘う形式になった。
第5回では予選会が2会場で同時進行となり、第6回からは全国複数のブロックで予選会が行われ、本選進出人数も一気に増加した。
予選会では第1関門が筆記クイズ。そこで成績上位の参加者が第2関門の早押しクイズに挑戦。ブロック制で7問正解で勝ち抜け。不正解3回で失格。第5回まではさらに最終関門として筆記による「ボードクイズ」が出題された。
本選では第1関門が3択クイズ。第1回では全50問出題し、正解数の多かった上位4名が、準決勝進出。第2回からは30問先取、第7回からは50問先取。もし規定人数を超えた場合はサドンデスで決着を付けていた。
第2関門は4人による早押しクイズで、ルールは予選の早押しクイズと同じ。第6回のみ「時間制限筆記クイズ」という10ポイント先取のボードクイズが行なわれ、早押しクイズは第3関門に。第7回以降はAブロックとBブロックに分けて各ブロック1人が7問先取で決勝戦進出。
決勝戦ではパート1として問題数限定の超難問早押しクイズで。正解すれば1ポイント。不正解は解答権が相手に移り、更に問題文を全部聞くことができる。
パート2はカプセルクイズ。2人はそれぞれカプセルに入り、ヘッドホンを装着しながらクイズに挑む。相手の解答はもちろん聞こえない。パート1で獲得したポイントがパート2へ引き継がれる。出題は石坂が行う。1問正解1ポイント。既定のポイントを先取した方が優勝。
9回に渡って開催されたが、毎回ある2人の男が代わりばんこに優勝し続けた。
1人は長野のクイズマニアで、勢いあまって本まで出した。
もう1人は早稲田大学OBの新聞記者(※メイン画像)で豪快なまでの早押しのスピードと「かかってきなさい!」という威圧的な名文句で人気をさらった。
最もTBSとしてはこの2人を猛プッシュしていたようで、当時他のクイズ番組に出演することはなかった。
大橋巨泉VSクイズ王
歴代の優勝者2人含む名うてのクイズ自慢6人が巨泉の作った問題に答えてクイズ王を目指すという趣旨。
しかし巨泉の作った問題は自身の専門分野に特化したのが多く、結果優勝者無し・巨泉の勝ちという結末となった。