概要
以下の人物がいる
実在の人物
- 脚本家、映画監督
- 元プロ野球選手
架空の人物
元プロ野球選手の吉田剛
読みは「よしだたかし」、ダウンタウンの松本人志に似ていた事から「ごっつ」とあだ名された
茨城県出身で、取手二高時代は夏の甲子園に出場し、KK(桑田、清原)コンビ擁するPL学園に勝利して、優勝している。1984年近鉄バファローズに入団。
1990年代以降頭角を現し、シーズン27盗塁や規定打席には唐突してないが、打率3割を打つなど一時は中心選手として活躍するものの、2000年には出場機会が激減し、阪神タイガースにトレード。巨人戦では高校時代の因縁の桑田真澄からサヨナラ安打を打つなど活躍するが、2001年限りで退団。プロでの優勝経験は1989年のみで、近鉄はトレードの翌年、阪神は退団の2年後に優勝など、運もなかった。
選手生活は長い方だが、通算では500安打に満たず、タイトルも獲得しておらず、そう言えばそんな選手いたなぁ、程度の成績なのだが、その割に知名度は抜群に高い(特にヲタ方面に)
なぜかと言えば、近鉄時代の応援歌がナムコのスカイキッドのメインBGMが使われており、これだけなら奈良原浩(ドルアーガの塔)、波留敏夫(ワンダーモモ)等、例がないわけでもないのだが、当時主流だったナムコの野球ゲーム「ファミスタ」の94年度版で吉田の打席で応援歌(もちろんスカイキッド)が流れる仕様となっており、ファミコン時代ではこれが唯一の事例となっている。この応援歌は後に前田忠節でも使われた。
「タッチ」の吉田剛
読みは「よしだ たけし」。主人公上杉達也と同じ明青学園高等部、同学年の男子生徒。
一年生時、本人曰く「達也に憧れて」という動機で他より遅れて野球部に入部してくる。その言葉は本心で、達也と接する時は同い年でありながら敬語で話し、自宅でも部屋には達也の写真を飾り、飼っているブルドッグの名を「タツヤ」に変えたりしていた。
入部後
達也に憧れてということなので当然投手の道に。体格には恵まれていないが意外と才能が豊かだったのか、達也を真似たストレートと、達也のライバル投手の一人勢南高校の西村勇を真似たなかなか鋭いカーブを身につける。
これに自信をつけた吉田は、達也のライバル打者の須見工業高校4番の新田明男と一打席勝負をし、形の上ではこれに勝利。
実はこの時新田は全く本気を出していなかったのだが、この勝利によって自信が増長の域にまで達してしまったのか、当初の達也への憧れはすっかり消え失せ、徐々に対等以上の大きな態度をとるように。
ついには完全に達也を追い落として自分がエースピッチャーの座に着くべく、監督に達也との直接勝負を願い出る。
がしかし、急遽家の都合で決まった南米への引越しにより、せっかく達也と勝負の日まで決定しておきながら、その日を待たずに明青学園を去っていった。
再登場
転校先が海外では日本の高校野球とはもはや無関係と思われたが、いつの間にか日本に戻っていて佐田商業野球部のエースとして再登場した。そして達也三年の夏、つまり現役最後の都大会で明青ナインとぶつかる事に。性格もさらに熱血的に、肌も褐色になっている。
試合では明青選手陣の打撃のクセを知っている事を活かし中盤までは好調に打ち取った。
しかし、明青のバットに球をとらえられ始めた途端、それまでピンチらしいピンチを味わった事が無かった吉田はあっけなく平常心を失ってしまう。
その後は序盤と逆に明青ナインに打ち放題に打たれてコールド負け。今度こそ物語から退場となった。
人物像
元は虐められっ子だった過去があり、高校野球で努力を重ねるのも過去からの挽回という目的もあった。前述通り、達也に対して最初は本当に慕っていたが新田との一件以降は勝手にライバル視して増長の一途をたどってしまう。実の所、吉田が器用に達也並みの速球と西村並みの変化球を身に付けた時、浅倉南や西尾佐知子からはその急成長ぶりを逆に危惧されていた。そのような状況下、原田正平からも「達也は吉田に対して正面からぶつかってやるべきだ」という意味合いの言葉を呟かれている。しかし海外への転校でそれも果たされず、やがて日本に帰国して佐田商業の切り札控え投手としてかつての仲間たちと対戦、結果的に惨敗となる。新田や西村からは「メッキがはがれたらただの小心者」と散々な評価しかされなかった。
なお、新田の妹・由加に片思いしていたが、最後以外は全く相手にされていなかった。