経歴
1982年3月19日生まれ、大分県出身。本名は「大西 雅継」(おおにし まさつぐ)。
小学生の時から相撲を始め、日本体育大学時代に学生横綱のタイトルを獲得。大学卒業後に元大関・琴風の尾車部屋へ入門する。
2004年1月場所初土俵。幕下付出資格の有効期限が切れていたため序の口スタートとなったが、2005年7月場所新十両、2006年1月場所新入幕を果たしている。
年齢が30代となった2014年から番付が幕内上位へ移動、3月場所で3回目の敢闘賞、5月場所ではかなり遅咲きでの新三役(小結)、7月場所では史上1位の最年長初金星を獲得(当時。同部屋の豪風が数日後に更新)している。
平幕で挑んだ2015年9月場所では白鵬・鶴竜の2横綱から金星を獲得し、琴奨菊・豪栄道の2大関にも勝ち銀星も得ている。2016年1月場所には新関脇に昇進。
2019年6月。故郷の大分県佐伯市での合宿中で同市のPR企画に参加した際に渓流で右膝を痛めてしまい、選手生命に関わる後遺症を負う事に。同年9月に現役引退を発表し、年寄「中村」を襲名した。
2022年、(元・琴風の尾車親方の定年に伴い)在籍&指導していた尾車部屋が閉鎖。元横綱・稀勢の里の二所ノ関部屋へ移籍した。
私生活では2011年11月に生後2ヶ月であった次女が乳幼児突然死症候群(SIDS)で死去、妻に自分の子供を虐待されたなどの事情から離婚を余儀なくされた、離婚成立後も妻が交際相手に猟銃で射殺されて変死体で発見されたなど災難続きで、渓流下りの件を含めれば平成以降の角界関係者の中でもトップクラスの不幸体質である。
一方で、引退後に渓流下りの件で佐伯市に対して訴訟を起こした件については「断りづらい雰囲気を出して力士に渓流下りなどさせた市が悪い」「後援者が無理強いしたことに責任がある」という擁護意見がある一方で「現役力士でありながら渓流下りを承諾する方が悪い」「郷土との関係性が重視される角界関係者でありながら故郷を敵に回す気か」という否定意見もあり、賛否両論となっている。