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宜保翔

ぎぼしょう

宜保翔は、沖縄県豊見城市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。
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概要

2000年11月26日生まれ。兄は野球選手でくふうハヤテベンチャーズ静岡所属の宜保優


沖縄県立豊見城高等学校の学生時代にバレーボール部の選手として活躍した実父と、同部の部員時代に沖縄県代表として国民体育大会へ出場した実母の間に出生。豊見城市立とよみ小学校の2年時に、根差部ベースナインで軟式野球を始めた。長嶺中学校時代には、野球部で遊撃手や投手に起用される一方で、生徒会長を務めた。


中学校からの卒業後に、KBC学園未来高等学校沖縄総合学科スポーツコース(野球専攻)へ進学。硬式野球部では、2年時の秋から4番打者を任された。レギュラーに定着してからの背番号は6で、主に遊撃を守っていたが、投手として試合に登板することもあった。3年生だった2018年春の沖縄県大会では、興南高校との決勝戦に投手として先発。興南打線を完封したことによって、創部4年目の母校を県大会初優勝に導いた。


未来沖縄高校への在学中は甲子園球場での全国大会と無縁であったが、「走・攻・守揃った二刀流選手」としてNPB球団のスカウトから注目。3年生時には、5球団から調査書が届けられるほど高く評価されていた。


2018年のドラフト会議では、内野手としてオリックス・バファローズから5位指名を受け、契約金3500万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は53。未来沖縄高校の出身者では初のプロ野球選手となった。


2019年は、ウエスタンリーグ公式戦へ100試合以上出場。大城滉二安達了一の相次ぐ離脱で一軍の遊撃手が不足したチーム事情を背景に、シーズン終盤の9月6日には、札幌ドームの対北海道日本ハムファイターズ戦で「8番・遊撃手」としてスタメンで一軍公式戦へのデビューを果たした。9月7日の同カード7回表の第2打席では、堀瑞輝から放った二遊間へのゴロが、内野安打と判定。判定通りであればこの一打が一軍公式戦での初安打になっていたが、日本ハム監督・栗山英樹からのリクエストによるリプレー検証の結果、判定は二塁へのゴロに変更された。この打席を最後に、9月11日付で出場選手登録をいったん抹消。自身の抹消後に安達が一軍公式戦中のアクシデントで脳震盪に見舞われたことから、NPBの定める脳震盪登録抹消特例措置によって、9月23日に再び登録された。同日の対福岡ソフトバンクホークス戦(京セラドーム大阪)に、「8番・遊撃手」としてスタメンへ再び起用。3回裏の第1打席で高橋礼から二塁打を放ったが、二塁から三塁へ走り込んだところ、三塁塁審の梅木謙一からタッチアウトを宣告された。この判定に対して、オリックス監督の西村徳文は、栗山と同様にリクエストを要求。判定自体は覆らなかったものの、一連のプレーが「二塁打と走塁死」とみなされたため、一軍公式戦での初安打が正式に記録された。


2020年は、オープン戦で打率.344と好成績を残し開幕一軍入りを期待されていたが、新型コロナウイルス感染拡大により開幕が遅れていた5月17日の練習中に右手首付近の違和感を訴え、大阪市内の病院で右手有鉤骨の疲労骨折と診断され開幕を一軍で迎えられなかった。5月21日に有鉤骨の摘出手術を受けた。その後、リハビリや二軍調整を経て9月20日に一軍に昇格し、同日の埼玉西武ライオンズ戦で2番・遊撃手で先発出場。2打席目の3回に松本航から左中間適時二塁打を放ち、プロ初打点を記録した。最終的に一軍の試合には10試合に出場し、打率.118。二軍では41試合に出場し、打率.218という成績だった。

選手としての特徴

高校時代に投手としてストレートで最速147km/hを計測したり、遠投で116mを記録したりしたほど地肩が強い。足も速く、手動計測ながら、本塁から一塁までの到達タイムで最速3秒8を記録。沖縄県の高校野球部対抗の競技大会では、立ち三段跳の部で、2年時から2年連続優勝を果たした。ちなみに、小学生の低学年時には、ヒップホップダンスを学んでいたという。


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