概要
1978年6月12日17時14分頃、宮城県沖(北緯38°09′・東経142°10′)で発生したM(マグニチュード)7.4の地震。気象庁による正式名称は「1978年宮城県沖地震」。仙台や福島など東北地方の各地で最大震度5(強震)を観測し、北海道や東京などでも震度4(中震)となった。
被害の概要は、死者28人、負傷者1325人、家屋の全壊1183棟、半壊5574棟。
ブロック塀の倒壊等による被害が目立ったのがこの地震の特徴であり、死者28人のうち18人が圧死であった。また、仙台などの市街地では断水や停電等のライフライン被害も大きく、1995年に阪神・淡路大震災が起こるまでは、比較的大規模な都市で起きた地震災害の例としてもよく知られていた。この地震を契機として、3年後の1981年に建築基準法が改正され、地震大国である日本の建築物の耐震設計が見直されることとなった。
なお宮城県では、1978年宮城県沖地震が発生した6月12日を「みやぎ県民防災の日」としている。
その他
1978年の地震のみならず、宮城県の沖合いで繰り返し発生する大地震を「宮城県沖地震」と総称することも多い。この海域は、太平洋プレートが日本列島下へ沈み込む「日本海溝」の一部であるため、日本で最も地震が頻繁に発生する場所のひとつである。
宮城県沖では、1793年の寛政地震(M8.2)以降、M7.5前後のプレート境界地震が40年くらいの間隔で発生していることが知られており、1978年の地震もその活動の一部とされる。
2011年3月11日には東北地方太平洋沖地震が発生したが、この時に断層破壊が始まったのも宮城県沖(三陸沖)であり、M9の巨大地震へとつながった。東北地方太平洋沖地震は岩手県沖から茨城県沖までの広範囲を震源域とする連動型地震であり、地震予知連絡会や地震調査委員会は「3.11では想定される宮城県沖地震も同時に発生した」と見做している。
なお宮城県沖では、プレート境界地震のほかにも規模の大きなスラブ内地震が時折発生することがあるが(最近では2003年5月や2011年4月に発生)、これらは40年間隔で発生すると想定される「宮城県沖地震」とは異なるため、区別するために「宮城県沖の地震」と呼称されることがある。