概要
漫画『鬼滅の刃』の最終章に当たる「無限城編」にて、竈門炭治郎が猗窩座に言い放った台詞の一つ。
強さに拘り「弱肉強食」の論理を、さもこの世の真理のごとく振りかざす怨敵の猗窩座に対する、炭治郎なりの一つの答えともいうべき台詞であり、同時にこれまでの作中での戦いを通して培われた、彼の人間的成長をまざまざと示してみせたくだりとも言える。
正確な全文は、
「強い者は弱い者を助け守る、そして弱い者は強くなり、また自分より弱い者を助け守る、これが自然の摂理だ」
であるが、Pixiv上では30字以上の語句はタグとして使用不可能であるため、便宜上本記事については前述の通り短縮した形での記事名としていることを付記しておく。
経緯
鬼の首領・鬼舞辻無惨の根城である無限城へと乗り込み、遂に鬼殺隊と無惨一派との総力戦が幕を開ける中、悍ましい数の鬼がひしめく城中を突き進む炭治郎と水柱・冨岡義勇の2人の前に立ちはだかったのは、かつて炭治郎にとって心の師であった炎柱・煉獄杏寿郎の命を奪った因縁浅からぬ相手、十二鬼月最強の一角である上弦の参・猗窩座であった。
2対1の不利をものともせず、義勇を流閃群光で彼方へ蹴り飛ばし、かつて対峙した頃よりも成長著しい炭治郎に対して、目を見張る成長だと称えた猗窩座は、かつて自らが手にかけた煉獄が遺した「この少年は弱くない、侮辱するな」という言葉は嘘ではなかったと振り返りつつ、一方で彼が人であることに拘るくだらない価値観を持っていた故に、あれ以上強くならなかったかもしれないとして、
猗窩座
「杏寿郎はあの夜死んで良かった」
と言い放つ。これは彼なりの、強者に対する「称賛」を示す言ではあったものの、歪んだ価値観ゆえのその言を煉獄への侮辱と捉え怒りを燃やす炭治郎に、
猗窩座
「勘違いだよ炭治郎 俺は」
「俺が嫌いなのは弱者のみ」
「俺が唾を吐きかけるのは弱者に対してだけ」
「そう」
「弱者には虫酸が走る 反吐が出る」
「淘汰されるのは自然の摂理に他ならない」
と、猗窩座はなおも持論を展開してみせた。が、これに対し炭治郎は、
炭治郎
「お前の言ってることは全部間違ってる」
「お前が今そこに居ることがその証明だよ」
「生まれた時は誰もが弱い赤子だ」
「誰かに助けてもらわなきゃ生きられない」
「お前もそうだよ猗窩座」
「記憶にはないのかもしれないけど赤ん坊の時お前は」
「誰かに守られ助けられ今生きているんだ」
と、その猗窩座の主張を静かにしかし真っ向から否定してみせ、その上で、
炭治郎
「強い者は弱い者を助け守る」
「そして弱い者は強くなり」
「また自分より弱い者を助け守る」
「これが自然の摂理だ」
そう強く語ると、猗窩座の考えを許さないと声を上げ、再び臨戦態勢を取ったのであった。
この炭治郎の言に、猗窩座は過去の人間であった頃の記憶を呼び起こされ、神経に障るような強い嫌悪感・不快感を覚えるとともに、強者であるかどうかにかかわらず炭治郎を「身体の芯から受け付けない存在」と悟るに至った。
…かくして、両者による因縁の戦いは遂に幕を開けることとなる。
本作を含むジャンプ漫画に限らず、多くの創作作品において敵味方問わず猗窩座のように「弱肉強食」論を語ってそれを認め難い世の真理のように振りかざすキャラクターは数多くおり、実際にそのように扱われる作品も少なくないが、炭治郎はそれを真っ向から否定し、しかも極めて的を射た反論を行っている。
彼の言う通り、生まれた頃から強い人など現実には存在せず、誰もが何の力も持たない無力な赤ん坊から始まり(というかそもそも親がいなければ子は産まれることすらできない)、多くの他者の助けを借りて成長していくのである。
これは人間に限らず多くの生き物が同様であり、自然の摂理を語っていると言っても過言ではないかもしれない。
漫画作品において、この問いにこれほど曖昧ではない確かな反論を行ったのは、恐らく彼が初めてではないだろうか?
関連タグ
クズモブ:創作作品における「自分より弱い相手を苦しめる弱者」の総称であり、本作にも何度か登場している。無論、その手の許しがたい弱者も鬼殺隊が守るべき対象と言える。