概要
兵庫県神戸市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。
プロ入り前
中学時代は軟式野球部に所属。2年秋に投手転向。
3年冬には阪神タイガースの能見篤史らが講師を務める野球教室に参加した。
その際、能見に対して強豪校や私立高校からの誘いがないことを打ち明けると、「この先見返してやればいいんだ。スカウトに言っておくよ」と励まされたという。
その後、須磨翔風高校に進学。2年生からエースナンバー1を付けていた。
甲子園出場はならなかったものの、日米のスカウトから高く評価された。
2016年秋のドラフトで地元阪神タイガースから3位指名(大山悠輔や糸原健斗、浜地真澄が同期に当たる)。背番号は35。
プロ入り後
2017年はシーズン最終盤に1軍デビュー。リリーフとして2試合に投げいずれも無失点であった。
2018年は5月にプロ初勝利を記録。その後先発ローテーションに定着し6勝を挙げた。
2019年は肘の故障もあり3試合の登板に留まった。
2020年は2軍で実践復帰こそしたものの、1軍での登板はなかった。
オフにトミー・ジョン手術を受け育成選手としての契約となる。
2022年5月に支配下復帰。
7月3日の中日戦では、両親が見守る中5回無失点の好投。3年ぶりの勝ち投手になり涙ながらにヒーローインタビューに応じた。
最終的には4勝を挙げ、復活を印象付けるシーズンとなった。
2023年はキャンプ中から好投を続けアピールに成功。
第1打席では三振を奪ったが、第2打席では渾身のフォークボールを膝を地面につきながらバックスクリーンにまで運ばれた(この後めちゃくちゃ悔しがっていた)。
その経験が糧になったのか、シーズンでは先発ローテーションの一員として活躍。
6月4日のロッテ戦では9回無失点で完封勝利を挙げ見事佐々木朗希に投げ勝ち、
9月14日、勝てば球団史上最速でのリーグ優勝のかかった試合で7回1失点の好投。チームは18年ぶりのリーグ優勝を決め、勝ち投手となった。この年はキャリアハイとなる8勝をあげ規定投球回にこそ乗らなかったものの防御率は1.81と申し分ない成績だった。
この年の日本シリーズ第4戦で先発登板。途中手から血を流しながらも5回1失点と好投。
勝敗こそつかなかったが4時間にわたる激闘の末、チームはサヨナラ勝ちした。
2024年は、春季キャンプやオープン戦から順調な調整を続けて開幕ローテーション入りを果たすと、3月31日の巨人との開幕カード3戦目でシーズン初登板初先発し6回無失点と粘投。勝敗こそ付かなかったが開幕から2試合連続で零封負けを喫していたチームのシーズン公式戦初勝利に貢献した。
その後3試合目の先発登板となった4月14日の中日戦で、7回1失点でシーズン初勝利。
続く4月21日の中日戦でも雨が降りしきる中で7回3安打無失点と好投すると、その直後に降雨コールドゲームとなり、シーズン初完封を記録した。
5月は12日の対DeNA戦で9回4安打無失点の完封勝利でチームの1点を守り抜くなど、4試合で3勝無敗、防御率1.32の活躍で球団選定月間最優秀選手に選出された。
交流戦では初登板となった6月2日のロッテ戦で9回6安打無四球無失点と、自身初となる無四球完封勝利で再び初回の1点を守り切り、ロッテの11連勝とチームの5連敗を同時に止めてみせた(ちなみに負けていればこの次の楽天戦の3連敗と合わせて9連敗になっていた)。
シーズン2度の1-0完封は球団では2014年のランディ・メッセンジャー以来10年ぶり、日本人に限ると1974年の古沢憲司以来50年ぶり、敵地で2度達成は1969年の江夏豊以来55年ぶりの記録であった。
6月9日の西武戦では8回一死まで被安打0に抑える快投を披露し、8回1安打無失点で7勝目を挙げた。
続く6月16日のソフトバンク戦は史上初となる2年連続交流戦防御率0.00の新記録達成をかけて臨んだ登板となったが、最終イニングとなった7回に近藤健介にソロ本塁打を被弾し、惜しくも記録達成を逃した。それでも7回5安打1失点9奪三振の好投で8勝目を挙げた。
最終的な交流戦成績は3戦3勝、24イニングで防御率0.38となり、交流戦優秀選手賞を受賞した。
交流戦後は、それまでの抜群の安定感が評価され、日曜日から相手チームのエース格と投げ合うことの多い週頭の火曜日へとローテーションが変更に。しかし、火曜日登板になった途端味方の援護が全く得られない、得点が入ったのが彼が降板してから…などとことん運の無い試合が続きこの間4試合全てでHQSを達成しながら勝利から遠ざかっていた(事実彼が火曜日登板になる前から火曜日は呪われているかのように点が取れておらず、彼の前に火曜日を担当し防御率が彼に次ぐ2位である村上にあまり勝ちがつかず負けがつきまくっていることからどれだけ援護が無いかは想像に容易いだろう)。
ファン投票1位で初めて選出されたオールスターゲームでは、初戦に先発し2回1失点で勝利投手となった。7月30日の対巨人戦で6回1/3を3安打1失点(自責0)で公式戦5試合ぶりの勝利を挙げ、キャリアハイを更新する9勝目をマークした。
8月に入ると、6日の対ヤクルト戦でシーズンワーストの10安打を浴び6回4失点、13日の対巨人戦では5回5失点(いずれも勝ち負けつかず)と2試合続けて安定感を欠き、やや調子を落とす様子を見せるも、8月20日に行われた彼が苦手としていたヤクルトとの試合において7回無失点の好投で、遂に自身初となる2桁勝利を達成した(この試合後「今日だけは自分を褒めてあげたい」と心底ホッとしていた)。またこの試合では、相手先発の吉村貢司郎から二塁打を放ち、プロ初長打も記録した。9月7日に初めて神宮でのヤクルト戦で勝ち投手となり12勝目、9月22日の巨人戦で難敵菅野との投げ合いとなったが虎の子の1点を守り切り13勝目をあげこの年のチームの勝ち頭となった。
しかも彼が先発の日が異常に勝率が高く、現時点で実に8回チームの連敗を止めている。
プレースタイル
150km/hを超えるストレートと落差のあるフォークを武器に奪三振を量産する本格派。
他にもスライダーやカーブも織り交ぜる。
人物
前述の通り彼は須磨翔風高校からプロ入りしたが、当時特に名門というわけでもなかった公立高校からドラフトで指名されたというのは地元では大々的に取り上げられ、公立の星と言われていた(現在も高校にプロ入り記念の横断幕がかかっている)。また、エースとして活躍するかたわら、学級委員長も務めていたという。小テストで10問中1問しか分からず1点を取ってきた際「俺には1が似合うぜ」と言っていたという。
性格としては底抜けに明るく、2023年リーグ優勝及び日本一記念のチャンピオンリングを渡された際にも「チャンポンリングで~す」と陽気に笑っていたり、5月12日DeNA戦のヒーローインタビューで「もうちょっと点取って欲しいっすね」と正直な感想を述べたり(この試合で1番出塁したのが才木でありこの試合唯一本塁に生還したのも才木だった)、していた。
ただ、負けず嫌いでかつストイックな一面もあり優勝旅行で同い年の村上頌樹とお酒を交えつつ語った動画では「相手を落とす考えは絶対に自分を落とす」「それだったら自分が0に抑えればいい」と語っていたり、前述の6月16日のソフトバンク戦で8回に交代された後「7回1失点か…」と本来なら褒められる成績であるにもかかわらずとても悔しがっていた。