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データ

武力70蛮性56
知力96忠義81
政治96混沌73
統率70革新45
魅力81逃隠49
技能:宰相適性(乙)知力・政治20%上昇
技能:深謀遠慮遠隔地への調略成功率30%上昇
固有武器:穿造五尺大太刀「疾風蜂」三回攻撃できる
固有アイテム:庇番集の形見所持数×武力10%上昇
マーキング・パターン足利二つ引紋

概要

斯波孫二郎の元服した姿。年齢は十七。

関東庇番の生き残りであり、皆を葬った北条時行への復讐に燃えている。

常に関東庇番の形見を身に着けている。鬼の名前は「復讐鬼」

利根川と杉本寺の戦いで、時行と北畠顕家の軍と対決する。

杉本寺で、時行と一騎打ちになるが、時行の二牙百刃の発展形、「千眼百刃」にて喉を突かれる。

今際の際、家長は遥か遠い未来、平和の続く未来の夢を見る。

そこでは自分は十七の高校生で軽音楽部に入っており、関東庇番の皆も学生で戦とは無縁の生活を送っていた。

もし、生まれた時代が違えば、きっと―—

なあ、時行 いつの時代を生きるのが幸せだ? 何歳で死ぬのが幸せだ?

僕は今だ 十七だ

史実

足利泰氏の長男・家氏を祖とする足利尾張守家の当主である高経の長男。ちなみに尊氏直義らを輩出した足利本家は泰氏の三男・頼氏の系統。家長は家氏以来の所領である陸奥国斯波郡(現在の岩手県盛岡市紫波郡)の高水寺城に拠り斯波を名乗ったとされる。1321年生まれの家長は1335年に14歳の若さで奥州総大将(のちの奥州管領、奥州探題)に任じられのち足利義詮の補佐役として関東執事(のちの関東管領)も兼任したが、1338年に北畠顕家との戦いで討死した。自身の子孫は高水寺斯波氏に至るとされる。弟・斯波義将(1350年生まれの高経の四男、家長の29歳下)が継いでからの斯波武衛家や叔父の斯波家兼の長男・大崎直持の子孫である大崎家、次男・斯波兼頼の子孫で戦国時代最上義光を輩出した最上家については「武衛」の記事も参照。

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斯波家長(逃げ上手の若君)
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