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早川雪洲

はやかわせっしゅう

日本人男優。ハリウッド史上、最も成功した東洋人と言われている。(1886年6月10日 - 1973年11月23日)
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概要編集

本名は早川金太郎。

悲劇のハヤカワ、喜劇チャップリン西部劇ウィリアム・ハートと並び称される。

一念発起してアメリカに渡り、空前絶後のハリウッドスターにまで昇りつめ、人種差別の激しかった当時のアメリカで支持を受けた。しかしその生涯は戦争に振り回されるものであった。


人物編集

際立ったルックスを持ち、「悪魔的な美しさ」「不気味なハンサム」と形容された。

当時アメリカの白人女性から絶大な人気を博し、彼を一目見ようと多くの女性が映画館に殺到し、中には彼を見ただけで失神する者さえいた。


アメリカ映画で悪役を進んで演じたため、日本での評価はあまり高くなく、同朋の日本人からは冷ややかな目で見られ「雪洲撲殺団」まで結成されるほどであった。しかし彼自身は在米日本人の保護や、日米・日仏関係の改善に協力的だった。


他にも、東洋人でありながら成功した雪洲には周囲に敵も多かった。常に嫉妬や中傷の対象になり、暗殺されそうになったこともある。(戦後、白人男性を優位とするハリウッドにおいて、東洋人男性が、白人女性を奪う悪役として描かれるようになったのは、雪洲への当てつけとも言われている)。


生涯編集

若き日編集

1886年、千葉県千倉町(現・南房総市)に生まれる。比較的裕福な漁師の家であり、10代の頃から剣術華道英語を学ぶなど高い教養を身につけていた。三男であったため家業を継げず、海軍兵学校を目指すも二次試験で不合格となる。当時の男子にとって兵を目指して不適とされるのは周囲から軽蔑される程のことであり、割腹自殺を図るも死にきれなかった。

渡米編集

20歳のとき、アメリカの汽船『ダコタ』号が安房郡白浜村沖で座礁すると、雪洲は英語力を生かして通訳として活動した。この出来事は、生きる道を見失っていた雪洲は渡米を決意する大きなきっかけとなった。両親を説得して、事件からわずか4か月後に雪洲は横浜から単身アメリカへと旅立った。

1907年、雪洲はシアトルに到着し、他の日本人と同じように農作業や労役などの単純労働に従事した。翌年に名門シカゴ大学に入学するが、中退してロサンゼルスに向かう。

ハリウッド俳優として編集

仕事を転々とする中、雪洲は日系人向けの劇団のメンバーとなった。当時はアメリカで珍しい日本人が東洋人役を演じることで人気を博し、ハリウッド監督のトーマス・H・インスの目に止まり、素人ながら雪洲は契約することになる。この頃に同じ舞台役者であった青木鶴子と結婚している。


28歳のときに夫婦で共演した『神々の怒り』(The Wrath of the Gods)がヒットし、翌年に公開されたセシル・B・デミル監督の『チート』(The Cheat)においても怪演して大きな評判を得た。この頃にはハリウッドで最も偉大な男優の1人として見られるようになるが、一方で在米日本人から顰蹙を買い、「雪洲撲殺団」まで結成されるほどであった。


36歳のとき、妻と共に一時帰国。しかし日本ではあまり歓迎されず、雪洲も日本の空気が好きではなかった。すぐにフランスへ渡り、映画『ラ・バタイユ』の制作に携わった。当時のフランス人の間でも雪洲は名は知れ渡っており、パリに到着すると市民たちから熱烈な歓待を受けた。

フランスやイギリスからも引っ張りだこだったため、雪洲は活動の拠点をロサンゼルスからニューヨークに移した。

この頃から女性問題に頭を抱えることになる。さらにアメリカで高まる黄禍論もあって、雪洲はハリウッドから追い出された。日中戦争も勃発し、関係が冷え込んでいた妻とは離れ離れとなった。

戦後編集

第2次世界大戦を雪洲はパリで過ごした。戦後、日本は戦犯国と見なされたが、しかし西洋での雪洲の人気は衰えておらず、ハンフリー・ボガートに呼ばれてハリウッドに戻ってきた雪洲をアメリカ人は歓迎した。


49歳のとき、大映社長に諭され、日本へ帰国し『戦場にかける橋』に出演した。この作品は世界で極めて高い評価を受け、雪洲は再び名声を取り戻した。妻子とも面会しており、次女と共演するなど家族関係は完全に修復されていた。

その後も日米を往復しながら映画やテレビドラマなど多くの作品に出演し、1973年に東京で亡くなった。

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