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概要編集

本名は杉野森正也。1960年7月6日生まれ。

青森県西津軽郡木造町(現在はつがる市)出身。


現役時代編集

アマチュア時代は中学、高校の相撲部を経て近畿大学に進学して大学の相撲部に所属していたが

環境に馴染めずに中退して故郷にて漁師となっていた。その後当時の大島親方(元大関:旭國)の勧誘を受けて1981年に大島部屋へ入門となった。


初土俵以来順調に番付を上げていき1983年3月場所にて新入幕を果たし、同年11月場所では小結

となり初の三役にまでなった。


1987年11月場所にて大関となり翌1988年の初場所において14勝1敗で幕内初優勝となった。

以後大関としては好成績を収めたが1987年末の横綱双羽黒の廃業事件の影響にて横綱昇進基準が厳しくなり以前の昇進の基準となる成績を収めながらも中々昇進は出来ず一時不振に陥ったが1990年の5・7月場所にて連続優勝を果たして横綱に昇進した。平成時代に入ってからは初めての横綱昇進となる。


翌年5月場所で横綱として初優勝を果たしたが以後は不調が続き1992年初場所にて引退した。


後の親方としての実績からは想像が付かないが、現役時代は週刊誌報道などでも不真面目横綱として認知されていた。


引退後編集

1993年に当時の安治川親方(元関脇陸奥嵐)の廃業に伴って年寄・安治川を名乗って安治川部屋を継承した。2007年に年寄・伊勢ヶ濱に名跡を変更し第9代伊勢ヶ濱親方となり安治川部屋は伊勢ヶ濱部屋に変更となった。


親方として第70代横綱日馬富士、第73代横綱照ノ富士と2人の横綱を育て上げ、関脇安美錦等多くの関取を輩出。

ちなみに照ノ富士は令和初の横綱となったため、奇しくも師弟揃って改元後初の横綱となった。

2020年に還暦を迎え、還暦土俵入りも予定されていたが、新型コロナウイルスの感染拡大のために2021年10月3日に延期となった。太刀持ちは日馬富士、露払いは安美錦が務めたが、照ノ富士は膝の不安から辞退した。


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