意味
目先の欲に囚われて、相手にまったく同じことを言われていると気づかないこと。
またそうして相手を騙すことである。
転じてどっちのしても大差がないという意味でも使われる。
更に転じて、自身を誤魔化して生活苦を紛らわせることにも使われる。
故事
その中のたとえ話として、以下のように語られている。
猿使いの話
あるところにたくさんの猿を飼い慣らす「狙公」という男がいた。
大層な猿好きで、家族の食い扶持が減っても猿たちの餌は決して減らさないほどだった。
ところが狙公の家計が急に苦しくなり、とうとう猿たちの餌も減らさざるを得なくなってしまう。
そこで狙公は猿たちに――
「お前たちの栃(とち)の木の実を減らさなければならない。朝三つ夕方四つで我慢してくれるか?」
と問うと、猿たちは不満に思ったか怒りだしてしまった。
そこで今度は――
「なら朝四つ夕方三つでどうだ?」
と返すと、猿たちは納得したのか喜んで騒ぎ出した。
論点
結局のところ、猿たちのもらえる栃の実は7つで変わりないのだが、猿たちはとにかくたくさん食べたいという欲に駆られ、朝に出される数が多い方を得と思って飛びついてしまった。猿知恵とはこのことである。
荘子は「猿たちは『朝四つもらうのが正しい』という価値観と慣習に縛られている」とも論じている。
現代における転用
この概念は現代でも多数の方面に通じるものであり、特に保険や訪問販売における契約では、一目では内容が分かりにくいことを利用し、言葉巧みに誘導して販促対象の契約へと踏み切らせる手法を用いる営業担当も多い。
テレビ通販でも、いかにも通販会社が負担を背負っているように見せかけ、その実薄利多売によって損失を上回る利益を得るというのは常套手段である。
余談
稀に朝令暮改と混同されるが、朝令暮改は「発言をすぐさま撤回して信用ならないこと」を意味するため、まったく意味は異なる。
似た読みと字面の張三李四という言葉もあるが、こちらは張氏の三男と李氏の四男ということから、ありふれた平凡な人物という意味になる。