概要
松井宗信は、遠江の国衆であった松井貞宗の次男として、1515年に生まれる。
宗信が生まれた頃の遠江は、今川氏親が遠江・尾張の守護であった斯波氏を遠江から追放し、今川氏が遠江の実行支配者となった時であった。
宗信の幼少期は確たる資料が残っていないので不明だが、次男であった宗信は幼少期は駿河で人質として暮らす傍ら、今川家の側近としての教育を受けたのではないかと言われている。
1529年に兄で松井氏の家督を継いでいた信薫が病死したことで、松井氏の家督を継いで、二俣城の城主となる。
今川氏輝時代から活動は見られるものの、本格的の史料に登場するのは花倉の乱を経て、今川義元が家督を継いでからのことである。
義元は松平清康の死で混乱する三河の地に食指を伸ばし、同時期に三河を侵略していた織田信秀と戦禍を交えることになり、宗信は織田氏の戦いの中で武勇を発揮して多いに活躍していくことになる。
特に三河の田原城攻めにおいては、義元から受けた冠状には「粉骨無比類の働きなり」と多いに称賛されている。
1560年の桶狭間の戦いにおいて、主君義元と共に討死を遂げる。享年46。
その最期は、織田信長の猛攻で危険に晒された義元を守るべく、僅か200程の兵で立ち塞がり、自ら得物を持って戦って、力尽きたという。
創作物
戦国大戦
「我こそ真の武士なり!」
見出し画像参照。
今川家所属のUCの1,5コスト槍足軽、武力6、統率4で「制圧」持ちの非常に優秀なスペックで参戦。
今川家は統率が高いが武力が低い極端な武将が多い中で、コスト比で最高の武力を持っているだけでも貴重なのに、統率もそこそこの4を持っていて特技を持っているとなると、1,5コストのカード中では最高峰に優秀なカードになる。
計略は、必要士気4の「死闘の構え」。
超絶強化で、武力+9と大幅に上がるが、ただし効果終了時に兵力60%も下がる。
計略の性質上宗信は撤退してしまうことが多いが、爆発的に武力が上がる計略が士気4で打てるとなると、相手に甚大な被害を与えることが可能としている為、裏の手としては重宝されている。
英傑大戦
「我が主・今川治部大輔
常に此処に在りぃ!!」
鎧兜は変わった以外は、戦国大戦に近い時の姿で実装。
今川家は「紫」の勢力に所属しており、宗信もそれに準ずる。
戦国のNの1.5コスト剣豪、武力6、知力5の無特技で参戦。
戦国大戦で多いに使われたことから、スペックはやや控えめになったが優秀なスペックで参戦していることは変わりない。
計略は、必要士気3の「忠節の奮戦」。
自身の武力3が上がり、効果終了時に兵力が回復するというもの。
計略自体は優秀とは言えず、優秀なスペックを持ったパーツ要員として採用し、渾身計略を打つ為の士気調節要員として、採用するのが良いだろう。