人物
母は俳人の津沢マサ子。
5歳のころから児童劇団に入り子役として活動を開始し、1966年、小学6年生の時に特撮テレビドラマ『ウルトラQ』にゲスト出演後、『ウルトラマン』のホシノ・イサム少年役でレギュラー出演し、知名度を上げる。
しかし正月休みに行ったよみうりランドの人工スキー場で足を骨折し、第25話を最後に降板。そのまま中学進学を機に俳優を引退。
2003年、約36年ぶりに『ウルトラマン』レギュラー陣と再会を果たし対談する。その内容は2003年にフジ・アキコ隊員役の桜井浩子が発表した著書「ウルトラマン創世記」に「ウルトラマン・大座談会」と題して、桜井と行った「特別対談」と共に収録されている。以後も俳優としての活動は行っていないもののウルトラシリーズ関連のイベントや書籍などでのインタビュー等でメディアに度々顔を出している。
エピソード
- 『ウルトラQ』への出演が決まったときにはゴジラシリーズに出ている俳優に会えると喜んだが、実際に佐原健二らメインキャストと共演できたのはラストの1シーンのみだった。
- 『ウルトラQ』では鳥を助けるために海に飛び込むシーンがあるが、当時通っていた小学校にプールがなく水泳の授業が年に1度しかなかったため泳げなかった。
- そのため中学校では水泳部に入り、大学ではヘッドコーチになるほど上達した。
- 演劇部に入ることも考えたが、台詞覚えが悪かったため断念したという。
- 途中降板という残念な結果に終わってしまったものの、『ウルトラマン』への出演については「ものすごい財産。一番の財産ですよ」と語っている。
- 同じく子役でありスーツアクターも務めていた山村哲夫は演技が素直で本番でも照れずに入っていくため、監督たちに可愛がられていたと証言している。山村とはドラマ『小さな目』で共演して以来家によく泊まりに行く友人同士となり津沢が一緒の事務所がいいと駄々をこねたため、山村が津沢と同じ事務所へ移籍することとなった。しかし、同じ事務所になってからの共演は『ウルトラマン』第9話「電光石火作戦」の一話だけであった。
- 16話から科学特捜隊の隊員服を着るようになるが、本人曰く隊員服は前から用意されていたとのこと。着用に至る展開は知らされていなかったが、仮縫いを行っていたので着用する機会が来ることは認識していたと述懐している。津沢は、隊員服を着てのロケが楽しみであったといい、降板時も隊員服を着られなくなることが悲しかったという。
- 『ウルトラマン』撮影途中で声変わりを起こしてしまい、第18話「遊星から来た兄弟」のアフレコではうまく声が出せず、NGを連発した。このとき芸能生活で初めて悔し泣きをしたが、ハヤタ隊員役の黒部進から励まされたことを後年でも思い出として語っている。
- 第24話「海底科学基地」でホシノがジェニーを励ますために行った変顔はすべてアドリブとのこと。
- 「科学特捜隊ができるなら生徒会長もできるでしょ」という理由で小学校時代は生徒会長を任されていた。このことは当時の報知新聞にも掲載された。