本名は「吉本隆志」。芸名は出身地にちなんで藤本真澄が命名したとされている。
概要
中央大学に合格して上京、東京の雰囲気に慣れて遊び歩いているうちに芝居に興味を抱き劇団表現座に在籍するが、家賃の滞納で家を追い出されホームレスになってしまう。
靴磨きで生計を立てていたが、その客としてやってきた山本嘉次郎監督に勧められて第3回オール東宝ニュータレントに応募、見事トップ合格を果たす。
しかし連絡先にしていた友人にもなかなか連絡がつかず不合格になりかけていたところ、山本監督が親代わりとなって合格した。
1963年に『暁の合唱』でデビュー。いきなり星由里子の相手役という大役を務めたが、撮影中は失敗を連続し以後は脇役での出演がほとんどとなった。
後述の『ウルトラマン』出演を経て1969年に東宝を退社。以降はテレビドラマを中心に活躍している。
ウルトラシリーズとのかかわり
一般的には『ウルトラマン』の主人公であるハヤタ・シン隊員役で有名であり、pixivでの投稿もすべてハヤタ隊員(もしくは黒松教授など)関連である。
『科学特捜隊ベムラー』時代の企画の初期のころから円谷プロ側が推した黒沢年雄と共に名前が挙がっており、早期から候補に挙がっていたようである。
ウルトラシリーズではハヤタ以前に『ウルトラQ』第8話にゲスト出演し、『ウルトラマンレオ』で自転車屋のおやじ、『ウルトラマンマックス』では地球防衛軍日本支部の長官・トミオカを演じており、『初代マン』でフジ・アキコを演じた桜井浩子と『レオ』『マックス』でも共演している。
なおかつてはヒーローを演じることについて先輩俳優からは
「若い頃にヒーローなんてやっちゃダメだよ。役者がやるもんじゃない」
と言われたこともあってか科学特捜隊のユニフォームを着ることに抵抗を感じ、スケジュールも多忙だったことから放送当時は一度も観たことがなかったという(今でこそ特撮ヒーロー番組は若手俳優・女優の登竜門として確立されているが、かつては「売れない役者が出るもの」という風潮が強かった)。
さらには演じて30年経ってもウルトラマンを演じたことについて触れられたくなかったため、その後も著書「ハヤタとして、父として」を出版する際に6話ほどを通しで見るまできちんと見ることはなかったという。
しかし、長年かけてファンの思いや海外でも評価されているとの声を聞いて今ではウルトラマンを演じたことについて誇りに思っていると語っている。
近年は役者として殆どテレビに出演しなくなったが、ウルトラマン関連のイベントでは度々元気な姿を見せている。
悪役俳優として
あまりにもハヤタ隊員のイメージが強すぎることもあり、世間一般では「正義の味方を演じる俳優」というイメージが強いが、実をいうと俳優としてのキャリアはデビュー当初からアクション映画や時代劇、刑事ドラマなどの悪役が中心である。そのため、黒部氏自身も『ウルトラマン』でヒーロー役を演じることになった時には「なぜ自分が…?」と非常に驚いたんだとか(ハヤタ役はオーディションで決まったわけではなく、「次はこれをやりなさい」と指示されてのものだったとのこと)。
『ウルトラマン』が初めて劇場上映された『長篇怪獣映画ウルトラマン』の同時上映『キングコングの逆襲』では悪役ドクター・フーの手下役であり、「なんでウルトラマンの同時上映で悪役やってるんだ」と思った特撮ファンも少なくないだろうが、キャリア的にはこっちの方が主流である。
他の特撮でも正義の味方以上に悪役での出演が多く、『仮面ライダーBLACK』の黒松教授役(上の画像)は得に有名。『特警ウインスペクター』でも第1話と最終回でウインスペクター隊に逮捕され、死亡する犯人第一号及び、ラスボスになっている。あの『西部警察』にも敵味方の区別がつかなくなった殺し屋に殺されるヤクザの幹部役で出演したことがある。
現在でもその貫禄のある見た目を活かして、2時間ドラマなどで悪徳政治家や企業の重役といった、事件の黒幕的な役で活躍している。
家族構成
『ウルトラマンティガ』でメインヒロインのレナ隊員を演じた女優の吉本多香美は実娘。後にCMや映画などで何度か競演している(そのうちの1本はウルトラマン関連の作品である)。
なお、黒部氏自身は、娘が芸能界に入ることに対して自身の辛い経験もあり当初は強く反対していたらしいが、妻に自身もまた親の反対を押し切って芸能界入りした経緯を引き合いに出される形で説得されて渋々承諾したというエピソードがある。また、とあるCMで娘と共演した際には、娘の方が自分よりもギャラが良いことを知ってがっくりしたとか。
余談
出身地の富山県に帰省した時に、実家の田植えを手伝っていた時、通りがかりの子供たちから「ウルトラマンが田植えやってる」と言われ、「シュワッチ」といって返すというサービス精神を見せている。
『ウルトラマン』放送当時は27歳で、これは『ウルトラマンオーブ』で主演を務めた石黒英雄氏と並び長らく史上最年長の記録であったが、2023年に『ウルトラマンブレーザー』で主演を務めた蕨野友也氏が放送当時35歳とその記録を8年以上も一気に更新することとなった。
オーディションにまで影響を与えた後輩ほどではないにせよ走るのが苦手だったそうで、走るとややガニ股気味になってしまい「走る姿が様にならない」と戦時中に軍事教練で指導を受けていた飯島敏宏監督から走り方を指導されたそうである。