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黒沢年雄

くろさわとしお

ニット帽がトレードマークの日本の俳優・歌手。本名は読みが同じ「黒沢年男」
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概要編集

1944年2月4日生まれ。神奈川県出身。四人兄弟の長男として生まれ、川上哲治青田昇に憧れて野球選手に憧れ、高校まで野球部に所属するも練習試合で対戦した柴田勲相手に先輩達ですら全く歯が立たなかったのを見て野球選手は無理かもしれないと感じ取り、同じ高校の先輩の坂本九飯田久彦に影響されて芸能の道を志す。


家出した時に銀座のジャズ喫茶のオーディションの告知を目にして参加して合格するもそれを断り、その後関西のジャズ喫茶やクラブなどのオーディションを受け、合格を勝ち取っても条件が銀座のジャズ喫茶と似たりよったりだったために結局関東へと戻り、一般企業へ就職。昼はサラリーマン、夜はキャバレーのボーイと二足のわらじを履いていた。


1964年、東宝主催のオーディション「オール東宝ニュータレント」に合格し入社。映画やドラマで人気を博し、40代に入ってからはバラエティ番組にも進出。『さんまのまんま』出演時の「オーバーすぎるぐらいのバカ」が想像以上の反響を呼び、他のバラエティからも引っ張りだことなる。


歌手としても「やすらぎ」や「時には娼婦のように」といったヒット曲を出している。


エピソード編集

  • 東宝のオーディションを受けた際には、会場にはあえて遅刻したうえで臨み、仕事を掛け持ちして寝坊したと語り、挙げ句の果てには「私を採らないと映画界の損失になりますよ」と言い放ってしまう。それでも合格してしまった。
    • 後年プロデューサーの藤本真澄に聞いたところ「三船敏郎の面接時の態度にそっくりだった」らしい。
    • また苗字が同じだったことから黒澤明監督の息子だと勘違いした審査員もいたという。
  • 東宝からは「八方一郎(やかたいちろう)」あるいは「黒沢敏郎」という芸名を提示されたが、前者は「わが社のスターは名前に数字が入っている。八方破れな君にピッタリだ」という理由にあっけにとられて拒否し、後者は「三船敏郎さんと同じ名前じゃ名前負けする」と固辞。本名でデビューすることになった。『踊る!さんま御殿』ではこれをネタにして八方一郎と呼ばれることがあった。
  • ウルトラマンハヤタ・シン役の候補者リストに名前が入っていたが、藤本プロデューサーが映画の仕事を優先させるため断ってしまったらしい。またウルトラセブンモロボシ・ダン役の候補にも入っていたという。
    • ウルトラシリーズには『ウルトラQ』にゲスト出演している。
  • 実はホラー映画が大嫌いで、仕方なく出演した『血を吸う薔薇』についても、「完成しても俺は絶対に見ません」という条件をのませた上で出演に応じたのだった。嫌いになった理由は、子供の時に化け猫の映画を見た際に恐怖のあまりひきつけを起こしてしまった事がトラウマになったため。
  • 歌手活動では「3年目の浮気」のオファーもあったが、ニヒルな二枚目だった自分のキャラに合わないとして断ってしまい、バンド活動をしていた弟の黒沢博に白羽の矢が立ったという。

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