概要
無産オタクとは生産的なことをしていないというオタクの自虐である。読みは「むさん」だが、鬼舞辻無惨(無惨様)にかけて「無産様」という侮蔑が流行ったことがあり、「むざん」と読んでしまう人もいる。
この言葉が知れ渡った経緯や、他人に使う蔑称としての意味合いについては無産へ。
解説
なぜ無産オタクという卑下が発生するのか?
資本主義社会は生存競争が激しいために多くの人が「何か生産性を持たなければ」「何か役に立たなければ」「何かを生み出さなければ」と思ってしまっている。その結果、本来生産的な必要がない趣味にまで生産性を求める人が少なくない。(実際はそんなことないのだが)生産的な趣味は上で、消費するだけのな趣味は下だという思い込みがしばしば発生する。
しかし少し考えれば分かる事だが、生産者だけで消費者がいなければ資本主義社会は回らない。「自分は飲食するだけ、視聴するだけ、遊ぶだけだから消費専門だ」という人もいるが、その消費物を購入することで支払った金銭が生産者の収入源になり得る。周りに回って生産者を支えている。「推し活」に金を払っているのであればファンコミュニティの一員になれる。
他人に言うのは暴力
しばし、マウンティングとして「自分のほうが生産的なことをしている」という思考や言動が発生し、行き過ぎた場合には「見るだけなどの非生産的な趣味をやめろ」と言い出す人が現れる。これは暴力的な行為である。
誰もが思ってしまう劣等感、でしかなくそこに正当性があるわけでもなく。他人に押し付けたり指摘すべきではないのだ。
pixivではコメントに対して「何も生み出せないくせに偉そうに」などと言わないように注意だ。(もちろん見てる側も何を言ってもいいわけではない)
他には誰にでも可能な簡単なことだという偏見のある手段で創作活動を行う人に対して「技術者やクリエイター等の生産者になれなかった一方的な消費者」「劣等感を爆発させている」のようなレッテル貼りも多く発生している。これも良くない行為である。
実際にはどんな趣味も生産的になりうる
実際のところはあらゆる趣味が生産的なことに転化可能であることを覚えておいて欲しい。例えばバーチャルYouTuberの視聴だって、切り抜き動画等を制作し、Vのファンを増やしたりするのも生産的な行動になると言えよう。絵描きにとって見れば描くのが忙しいので、資料集めの時短になるので大変助かる趣味だと言える。
pixivで言ったらコメントで相手を応援するのだって、周りに回って生産的な活動だと言えるだろう。他にはリクエストを送ったりfanboxで応援するのだって、間接的な生産活動である。
他にも趣味が高じて同人誌になる、なんてのも立派な生産活動だ。趣味を卑下する必要など無い。
同人誌のうち評論と呼ばれるジャンルは、絵なんか描けなくても、自身の専攻学問や職業や趣味などの趣味を本にしたものが多く出回っている。
ただし、「絵と違って文章を書くなんて誰でもできる」なんてことはない。作文の訓練を受けていない人に長文を書かせても、意味不明なとっ散らかったものしか書けない。文章が書けて絵が苦手な人がいるのと同様、「プロ漫画家だけど同じ内容を文章で書くなんて無理」とか「絵は得意だけど文章はうまく表現できなくてストレスがたまる」といった人も山ほどいる。pixiv小説の投稿作の品質も、上手い人と下手な人とで天と地ほど差がある。文章を書くことも絵と同様、創作的な営みなのだ。