※同姓同名の漫画家は「狩野恵輔(漫画家)」を参照。
概要
1982年12月17日生。群馬県勢多郡赤城村(現渋川市)出身。
2000年に群馬県立前橋工業高等学校から阪神にドラフト3位で入団。
入団当初のポジションは捕手だったが、打撃や足の速さを評価されて、2002年から捕手と外野の両立を試みることに。このころの2004年9月22日に1軍初出場。
その後、捕手に専念することになるが、2006年までレギュラー定着することは無く、「もう後が無い」自分を鼓舞するために背番号を63から99に変更。
背番号を99に変更した2007年に初の開幕一軍。54試合に出場した。
2009年には自己最多の127試合に出場。同年オフに阪神が城島健司を獲得することを発表したこともあり、外野手転向を打診されるものの、結局転向せずに終わる。
2010年以降は椎間板ヘルニアに苦しめられ、出場機会が激減。
2011年からは外野手に守備位置登録を変更。2012年オフに、腰のリハビリに専念するために翌年から育成選手登録されることが決定。背番号は120に。2013年7月23日、林啓介と共に支配下選手に復帰。背番号は前年まで着けていた99に戻った。以降は代打の切り札として活躍した。
2017年シーズンをもって現役引退。9月27日に2軍で行われた引退試合(阪神甲子園球場)では、元チームメイトで同じく引退を決めた広島東洋カープの江草仁貴と対戦し、そしてかつてのポジションである捕手の位置につき、同年引退の安藤優也とバッテリーを組んで試合を締めくくった。
引退後の2018年からは、野球解説者・野球評論家として関西地区で活動をしている。