ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

目次 [非表示]

直垂からは礼装用の「大紋直垂」、普段着用の「素襖直垂」、下に着る「鎧直垂」、武家正装用の「肩衣」などが時代と共に生じていく。


形態編集

時代によって変動が激しいが、以下の点は古くから変わらない特徴である。

  • 上半身用と下半身用との2部式構成、上半身の着衣をに着込めて着用する。

上半身編集

  • 前合わせは垂領(たりくび。襟を肩から胸の左右に垂らし、引き合わせて着用すること)
  • 衽(おくみ。着物の左右の前身頃に縫いつけた襟から裾までの細長い半幅の布。おくびとも読む)を作らず襟を付け、打ち合わせを紐で結ぶ。
  • 脇が縫われておらず、開いている。

下半身編集


変遷編集

発祥は古墳時代の頃に着られていた衣服で、現代の一般的な和服のように前で打ち合わせるタイプの衣服の基であり、起源は男子をかたどった埴輪が着用している上半身は前合わせの着物、下半身は別仕立てのズボンのような物だといわれている。


室町時代に、礼装・公的な場の”晴れの装束”としての「大紋直垂」と、日常着である”褻(け)の装束”としての「素襖直垂」というように、徐々に使い分けが生まれていった。

特に直垂は、幕府より許された家臣に限り、侍烏帽子と直垂の着用が許される。


戦国時代に入ると、直垂の袖すら邪魔となり肩衣(の基だといわれる)という物が生まれた。

江戸時代は江戸幕府により、直垂、大紋、素襖は高位の武家しか着られない衣服とされた。

明治初期には朝廷出仕の際の礼装になったが、明治5年に太政官布告により礼服が洋服となり、直垂は公服としての役目を終えた。


現代では、神社における祭礼時の奉仕者や、雅楽の演奏者、大相撲行司などが着用している姿を見ることが出来る。

また狂言歌舞伎舞台衣装や、結婚式花婿衣装などでも見られる。


関連タグ編集

和装 和服 武士 甲冑 方丈記 伝統芸能 日本史

関連記事

親記事

和服 わふく

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 180619

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました