砂丘
さきゅう
1962年から1997年まで運行されていた急行列車。
1962年に山陽地区と山陰地区を結ぶ準急列車として宇野駅~鳥取駅で運行を開始。当時岡山県から山陰方面へ向かう列車は伯備線経由の「だいせん」、「しんじ」が運行されていたが、いずれも鳥取県西部・島根県方面であり、鳥取県東部へ向かう列車は「ひるぜん」のみ、それも岡山駅発上井駅(現:倉吉駅)行きの片道列車だった。
宇野駅~岡山駅間は前述の「しんじ」と併結され、四国連絡列車としての役割も担っていた。
1966年に急行に類別変更され、1967年には運行区間を上井駅まで延長する。この区間は臨時列車扱いだったが実際には毎日運行されていた。
1972年に山陽新幹線が岡山駅まで開通したことに伴い、運行区間を岡山駅~倉吉駅(同年2月に改称)に短縮した代わりに3往復に増発した。
1973年の「ひるぜん」廃止後は同列車が行っていた大阪駅発の「みささ」との併結運転も行われ、1989年の「みささ」廃止後は5往復にまで増発された。
全国的に急行列車が衰退していく中で、山陽新幹線から鳥取方面への最短ルートを通る列車だったことから減便を免れ、因美線内でのタブレット取扱の様子から鉄道ファンにも人気があった。
しかし1994年に智頭急行が開業したことに伴い最短ルートの座を同線に譲ることになり需要が激減。津山線および因美線での線形の都合からスピードアップが望めないこともあって、1997年に「いなば」の運行開始に合わせて廃止された。
使用車両
急行型気動車であるキハ58とキハ65、半室グリーン車のキロハ28を組み合わせた3~5両編成で運行された。キロハ28は高徳線で1両が運行されていたものを除けば「砂丘」で運用されていたものが唯一の車両だった。
通過中にタブレットを受け取るためのタブレットキャッチャーを装備していたが、運転士によってはタブレットキャッチャーを使用せずに腕を出して受け取っていた。
1992年には車両のリニューアルが検討され、JR四国からキハ185系の購入を計画したが実現しなかった。そのためキハ58系のリニューアルを実施。0系新幹線電車から流用したリクライニングシートに更新された。上画像のキハ58はリニューアル車で、「砂丘色」あるいは「つやま色」と呼ばれていた。
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