概要
1936年7月9日生まれ。福島県会津若松市出身。郷里で漆塗り職人として就職するも漫画家になる夢を捨てきれず、同郷の平田昭吾らと漫研を設立。手塚治虫に描いた漫画の原稿を送り、それがきっかけとなって手塚に誘われて上京。手塚の専属アシスタントを務めていた。1959年に手塚から独立し漫画家となった。
手塚から独立後にアニメ鉄腕アトムの絵コンテを描いた事でアニメの魅力に取り憑かれ、その事を友人であった同じく漫画家の吉田竜夫に熱く語ると意気投合。
その吉田からウチの弟たちと一緒にアニメやろうぜと誘われた事をきっかけとしてアニメーターとして活動を開始。
同士となった吉田は1977年に逝去。友の死に際して同郷の友、平田昭吾から誘われた事をきっかけに西崎義展のもとへ行くこととなったが、吉田の弟たちと共にその遺志を継ぐ事も諦めきれず個人事務所の「笹川ひろし事務所」を立ち上げ、事実上のフリー演出家として活動。70年代~80年代のタツノコ黄金時代を築いた。
一方、西崎がシンエイ動画の下請けをやるようになった事で『忍者ハットリくん』の総監督に就任。のちシンエイ動画および小学館との付き合いが深くなり、また平田の薦めで児童文学作家となった事から多忙を極め、結果タツノコプロとは徐々に疎遠になっていった。
しかし1994年に『タイムボカン王道復古』を手掛けた事からタツノコプロに顧問として復帰した。
タイムボカンシリーズなどのギャグ作品を多く手掛け、マンネリを生かした演出を得意とするが本人は新造人間キャシャーンのようなシリアスなストーリーが好みだとか。
弟子
タツノコプロ取締役として真下耕一、うえだひでひと、西久保瑞穂、押井守を見出した。
またタツノコでの活動と平行して個人事務所である「笹川ひろし事務所」を開設。タツノコからの仕事を事務所を通した委託という形で行い、またこちらでもクリエイターの育成を行った。笹川ひろし事務所からは長田ノオト、上北ふたご、今川泰宏、茂木智里などを輩出している。
余談
タイムボカンシリーズに登場するささやきリポーターとドクター笹ヤブのモデルでもある。