CV:横沢啓子(アニメ版) / 早見沙織(劇場版アニメ)、演:南野陽子(1987映画版)
概要
跳ねっ返りのじゃじゃ馬娘で生まれついての騒動屋の少女。
花村家は勇猛にて知られた直参旗本の家系であり戊辰戦争においては佐幕派として明治新政府と戦っていた。しかし結局は幕府の倒壊により新政府に降伏した一派の一員に伏し、その後は新政府の人材不足から帝国陸軍へと参与した経緯がある。
この頃の御先祖(紅緒の祖父)が(おそらくは公武合体施策の頃に)公家のお嬢様(のちの伊集院伯爵家のおばあさま)と後に禁断となってしまった恋に落ちてしまう。結局、両者は明治維新により泣く泣く引き裂かれる羽目になったが、この事を原因とした両名両家が交わした誓いにより、生まれた時から伊集院忍と結ばれる事が、とり決められていた(本人は忍と引き合わされるまで知らなかったが)。
特技は剣道で、伊集院忍とも互角に渡り合うことができる。自他共に認める酒乱(しかも連載後期で家系に裏打ちされた筋金入りの酒乱であることが判明する)で、酒を飲んではよくトラブルを巻き起こしているが、懲りることを知らないようである。家事全般は苦手だし、劣等生でもあるが、英語だけは得意である。作中でも公言されるほどの貧乳で、どんな服を着てもその胸部に本来あるべき取っ掛かりがなく、Aカップ前後しかないと思われる。早い話が現代風に言えばおっぱいがついたてのイケメンである。
際立つほどの美人ではないが、黙っていれば愛らしく(ただし鬼島森吾からは「ちんくしゃ」扱いされ、親友の環からは「ジョン・デンバーまっつぁおの丸顔」と評されているため、愛らしい容姿は少女漫画としての読者のみに対する作者による主人公修正の可能性もある)その気立ての良さと芯の強さから、陸軍歩兵少尉で許婚の伊集院忍のみならず、歌舞伎の女形役者で幼馴染の藤枝蘭丸、冗談社の編集長青江冬星、帝国軍人の鬼島森吾からも好意を寄せられている。
母親が早世して男手一つで育てられた。当初は出会った時の出来事も相まって、忍に反感を持っていたが、次第に心底愛するようになる。忍亡き後はロングヘアからショートヘアへ髪型を変えた。家計を支えるため働きに出て、紆余曲折を経て冗談社に入社するも、反政府運動家の疑いをかけられ投獄される。持ち前の度胸とマイペースな性格で刑務所暮らしも乗り切るが、未曾有の大災害に巻き込まれる。だが最終回では運命の人と結ばれ、番外編では一児の母となっている。
余談
設定によると、紅緒の好きな作家は横溝正史という事になっているが、大正12年の震災当時22歳という設定から逆算すると紅緒は明治35年生まれという事になり、横溝も明治35年生まれなので実は紅緒は横溝と同い年となる。また、横溝の小説家デビューは18歳の時なので17歳の頃の紅緒が横溝を愛読する事は有り得ない。22歳時の愛読書と考えれば矛盾が無いように思えるが、横溝が本格的に作家活動を始めたのは昭和7年からで、紅緒と横溝は、計算上この時30歳である。なので、設定と時代考証の矛盾が無いように考察すると、紅緒は晩年(少なくとも連載終了後)に横溝を愛読していたという事になる。
もっとも……親記事にもある通り『はいからさんが通る』は原作自体が『ガッチャマン』や『モスラ』『ゴジラ』関連に代表される各種ネタが跋扈する時空も歪むギャグ漫画(しかも大正時代に生きる設定になっているキャラ諸君全員が、それら昭和の風俗を話題に出しコスプレしパロりまくっている作品)である。だからこそ、横溝作品も随所でネタ化されている。
でなきゃ上記にある環の「ジョン・デンバーまっつぁおの丸顔」なんてセリフは出ないのだ。作品の舞台である大正時代(1912年~1926年)にはジョン・デンバー(1943年~1997年。Take me Home,Country Roadのオリジナル・シンガー)は生まれてすらいない。
その意味では本作のファンにとってみれば、そんな設定の矛盾は埋もれ(あるいは読者ツッコませ)ギャグとして織り込み済みだったりもするので、それをいちいち指摘していくというのは「野暮の極み」「ネタにマジレス」「何を今更」というトコロでもある。なので、あまり気にしない方がよいことでは、あるかもしれない。
そして原作内において思想犯容疑で監獄にブチ込まれた際には牢名主のお定にシメられかけてシメ返し、結果お定は寝込んだ挙句、一時期「紅緒がきたりて笛を吹く~」とうなされるハメになっている。