概要
日本の国家君主とその一族であり、伝統的権威を持つ大和朝廷と、徳川家を筆頭とする徳川幕府及び諸藩、すなわち『公(朝廷)』と『武(幕府)』を結びつけて、幕藩体制を再編し強化を図ろうとした政策論・政治運動のことである。
『公武合体策』『公武合体論』『公武合体運動』『公武一和(こうぶいちわ)』とも呼ばれ、『尊王』を掲げた者の中で、幕府を倒そうとしていた倒幕派とは対立関係にあり、幕府を重んじ補佐する佐幕派は基本的にこちらに勢力である。
ただ、諸外国との交易については、倒幕派と同様に積極的に行うべきとする開国派と、交易は極力控えて追い払うべきとする攘夷派に分かれていた。
国難に対処すべく挙国一致体制で臨もうという思想ではあったが、実際はそれぞれの利害関係が複雑に絡み合って、有効な打開策とはなりえなかった。2度の長州征伐を機に各藩が幕府をもりたてる熱意を失ってこの思想は行き詰まり、薩摩藩が倒幕に転じたことと孝明天皇の崩御で解体した。その後も山内容堂らによる公議政体論の主張と大政奉還で息を吹き返したように見えたが、王政復古の大号令で徳川慶喜の新政権参加への道が閉ざされたため、公武合体論はここに政治生命を終えた。