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現在のブリティッシュ・エアウェイズの前身にあたる会社。1939年11月、第二次世界大戦(対ドイツ戦)開戦間もない時期に戦時体制突入を受けたイギリス政府の民間航空政策によってインペリアル航空とブリティッシュ・エアウェイズ(現在の同名の会社とは異なる)が合併して誕生。イギリス領インド帝国や香港シンガポールなどの極東に点在するイギリスの植民地オーストラリアなどのイギリス連邦諸国、北アメリカ路線向けの航空会社として作られた。


1974年3月31日、ブリティッシュ・ヨーロピアン航空と合併し「ブリティッシュ・エアウェイズ」となって消滅。コールサインである「スピード・バード」はブリティッシュ・エアウェイズに受け継がれている。

日本への乗り入れ編集

敗戦後の1948年3月19日に、イギリスの南海岸のプールと香港を結ぶ路線を延長し、日本へ乗り入れを開始。当初の乗り入れ目的は日本の占領にあたっていたイギリス連邦占領軍への物資補給で、岩国基地飛行艇で発着していた。


1948年11月より乗り入れ先が東京国際空港となり、さらに1952年には世界初のジェット旅客機であるデハビランドDH106 コメットIによる南回りヨーロッパ線での乗り入れを開始。コメットによる乗り入れはその後機体の設計ミスによって相次いだ墜落事故が原因で終了したが、ブリストル・ブリタニアやDH.106 コメット Mk.4、ヴィッカース・VC-10、ボーイング707-420などに変更した他、世界一周路線の寄港地として、北回りヨーロッパ線、大阪国際空港にも乗り入れを実施。1971年にはボーイング747の乗り入れも開始した。


1974年にブリティッシュ・エアウェイズへ引き継がれた。

英国海外航空機空中分解事故編集

1966年3月5日、英国海外航空世界一周路線911便(ボーイング707)が富士山付近の上空で乱気流に巻き込まれ、機体が空中分解。乗員乗客全員が死亡する大惨事となった。

米国サーモキング社の当時の副社長を始めとする会社役員とその家族、映画007は二度死ぬの撮影スタッフ、海外赴任中の夫の許へ向かっていたバリトン歌手の立川清登の姉とその家族、第3次日本公演からの帰途にあったフランスの著名キャバレーカルーゼル所属の性転換ないし女装ダンサーなどが犠牲になった。富裕層が大勢乗っていたのは当時の国際線は運賃が非常に高額で、一般庶民にはとても手の届く代物ではなかったから。


この時の離陸映像は今でも残っており、滑走路脇には着陸に失敗して大破・炎上したカナダ太平洋航空のダグラス DC-8の残骸が燻って散乱していた中での離陸だった。(前日にカナダ太平洋航空402便着陸失敗事故がおきたため)


事故原因は乗客の1人が持っていた8ミリカメラの記録内容から乱気流の中でも特殊な「山岳波」が原因とされた。機体が受けた荷重は強い山岳波によってボーイング707が設計上耐えられる応力を大幅に超えており、これが空中分解へ繋がることとなった。

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