概要
室町時代に制作された真珠庵本系統の『百鬼夜行絵巻』に描かれている赤い妖怪に対して、後代に付与された呼称のひとつ。2010年代以降、ひろまった。
アイルランドのチェスター・ビーティー図書館に収蔵されている江戸時代末期の百鬼夜行絵巻に見られるもので、「同絵巻では赤い妖怪の箇所に赤へるという文字が添えられている」という2010年代のネット上の文字情報が由来である。なお、チェスター・ビーティー図書館の絵巻物を紹介した2010年代までの日本語文献資料には赤い妖怪の箇所の写真図版は収められていない。また、それ以前の絵巻物に用いられている例も確認されていない。
チェスター・ビーティー図書館の絵巻物には、「赤へろ」あるいは「かいろ」(我以路)と書かれている。それとは別に、御幣を持って走るツノの生えた赤い妖怪(真珠庵本系統では一般的に巻頭に描かれるが)にも「赤へろ」という名称があることも写真図版で確認することができる。赤い妖怪の箇所には、「赤へろ」あるいは「かいろ」の文字が見られ、「かいろ・かへろ」あるいは「かいる・かへる」であれば、かえると読むことができ、蛙を意味したものだろうとの説も氷厘亭氷泉氏によって唱えられている。
チェスター・ビューティー図書館の同絵巻には、『百鬼夜行絵巻』の図柄が描かれ、そこに鳥山石燕作品の妖怪名が添えられていることが多くみられる。しかし、石燕は赤い妖怪を描いてはおらず、題材となった物の名称を添えた『百鬼夜行絵巻』にも赤い妖怪が何であるかを書き添えている事例が見られないため、絵巻そのものに言い伝えられて来た内容を添えたものではないとも思われる。
赤い妖怪の後代の名称
赤い妖怪には、足があり、ぎょろりとした目に、尻尾らしきものがある。しかしその姿は絵巻によって、体毛が生えている、体色が異なる、尾がないなどの様々な違いがある。真珠庵系統の『百鬼夜行絵巻』に見られる図柄を個々に一体の妖怪として転用して描いている江戸時代後期の妖怪絵巻の類では、体色の異なるこの妖怪に、大化(おっか)、ちからここという名称も用いられており、年代的に「赤へろ」あるいは「かいろ」(蛙)はそれらよりも後のものである。
蛙のような見た目であるという見方を踏まえたのか、幕末に描かれた『百妖図』の瓢箪子(ひょうたんこ)は、類似しつつも足が四本の蛙の要素が見受けられる。
その後、昭和になり同型の妖怪は水木しげる氏にのっぺらという名で紹介されたり、平成になり荒俣宏氏監修の食玩『陰陽妖怪絵巻』で蟇怪(がまのけ)、映画『さくや妖怪伝』で赤子玉(あかこだま)、『絵でみる江戸の妖怪図巻』で赤ぶよ、サンガッツ本舗のソフビ妖怪ぶよぶよ、その他赤玉(あかだま)やゲーム『新桃太郎伝説』での地虫(じむし)、単に赤いやつなど様々な名で呼ばれている。
これらは、『百鬼夜行絵巻』の赤い妖怪そのものに名称が存在して来ていなかったことも含め、大化などの後代の絵巻で別に描かれた存在が、2000年代に入るまで書籍で紹介されることもなかった点に由来する。
2006年頃から、pixivを含めたネット内では妖怪絵師氷厘亭氷泉氏によって妲腸(だっちょ)と命名されているものが投稿されている。
「赤へる」という呼称はピクシブ百科事典における2014年の本記事での紹介後、2020年10月3日に『いらすとや』にて、百鬼夜行絵巻の赤い妖怪を「赤へる」という名称でフリー素材イラストとしている。その後、用いられてる事が増えたようで、妖怪絵本作家石黒亜矢子氏の作品(『おろろんおろろん』)などでも「赤ヘル」の名前が用いられている。